6月26日 土曜日    天気は晴れ ときどき曇り

 久しぶりに朝食を食べる。パンとコーンスープ。私はパンなどいくらでも食べられるのだが、最近お母さんは、スーパーでも別コーナーで売っている高級志向のパンを買って来るようになり、セコイ私としては、この「一切れで何バーツになる」などと計算してしまうので、とても好きなだけパンを食べられると言った状況にならない。以前は私が買い物に行っていたので、パンもリンピンスーパーの普及タイプの1斤15バーツほどのパンだったので、思う存分、好きなだけ食べられたのだが、、。あの頃が懐かしい。贅沢志向になって空腹を満たせないとは、これも本末転倒なのだろう。

 優泰を補習校に連れていったついでにビートルをドッグ入りさせる。エンジンは冷えている状態でも調子が悪くなってしまった。整備工に見てもらったところ、キャブレターの洗浄と燃料ポンプの交換が必要だと言う。ガソリンが気化してしまって、ポンプはほとんど空回りを続けていたのが原因のようなのだが、これによってポンプがダメになってしまったようだ。うーん、ここに来てまたも痛い出費を覚悟しなくては、、。

 ビートルの修理には4時間ほど時間がかかると言うので、ビートルを残し修理工場を出て、乗合のピックアップ・トラックでも拾ってK.K.トラベルにでも向かおうかと思ったら、ちょうど良いところで、K.K.トラベルのメッセンジャーが通りかかった。K.K.トラベルでは、常にメッセンジャーを置いており、集金や届け物などに使っている。彼はバイクに跨って市内を駆け回ってくれるのだが、先月までいたビックなどよりもずっとしっかりしていて、まじめである。妻帯者であるから、フラフラした若者よりもしっかりしているのだろう。その彼のモーターバイクに跨って、K.K.トラベルへ出社する。

 さて、「トール君たちと一緒に日本へ帰るのだ」と言っていたタク君は、今晩の東京行きの切符こそ予約しているものの、未だに切符を買いに来ない。と言うことは、やはり帰国を断念してくれたのかと喜んでいたが、昼前になってタク君は「切符、買いまっすよ」と言ってやって来てしまった。しかも、割引率の大きい往復切符ではなく、片道切符である。とうとう彼も日本に帰ってしまうのかぁ、、。残念である。チェンマイのタイ料理屋の厨房で黙々と料理に励んでいた彼は、私なんかよりもずっと濃厚にタイ人社会にはまり込み、持ち前のキャラクターで、数々のエピソードを作り上げてくれたわけで、彼の話の一つ一つが、毎回週刊誌のコラムの桝目を埋めるのに十分過ぎるほど面白かったのだが、、。

 そのタクくんを東京へ連れ帰るはずのトール君が今朝から激しい腹痛に襲われて、ホテルの部屋でダウンしているという。3時ころに見舞いを兼ねて部屋を見に行くと、ワイルドな風貌のトール君が見るも無残な姿をしてベッドに倒れていた。彼らは今晩の飛行機に乗ることになっている。しかし、これはどう見たところで、夜の飛行機での長旅に耐えられそうもない。本人も半分「俺、今晩帰んの無理かも知んねェ」などと言っている。一応、イモジウムと言う強力な下痢止めを飲んでいるようだが、危険な状態である。聞けば昨日はホワイ・トゥン・タオと言う貯水池でクンテンと言う生の川海老を踊り食いしたそうである。その前の日は豚の生肉を使ったラープと言う料理を食べたそうだ。辛いから唐辛子を控えめにしたと言う。まったくの自殺行為である。「月曜から仕事なんだよなぁ」と言うが、こんな状態で帰国したら、成田空港の検疫係官に捕まって、それこそ、1週間くらい隔離されかねない。
 フラつくトール君をビートルに押しこんで、ラム病院へ運び込む。内科のお医者さんも、この無鉄砲な飲食ぶりに呆れ、さらに、今晩の飛行機に乗るという予定に愕然としていた。しかし、そこは、こうしたケースもチェンマイではよくあることなのか、すぐに馬にでも射すような極太の注射を4本も打ち込み、更に点滴まで打たれた。そうしているうちにも、飛行機の時間が近づいてくる。医者や看護婦さんが目を離した隙に、私は点滴の量を加減するコックを回して、点滴のスピードアップを計った。1時間かかると言う点滴が見事15分ほどで完了してしまった。

 病院からまっすぐ空港へ向かい、搭乗手続きをされる。トール君はほぼ7割方体力を回復し、元気になった。が、まだ薬で良くなっているだけの可能性があるので「絶対に機内食に手を付けるなよな」と言い渡して、見送った。約半年ほどチェンマイで料理人をしていたタク君も、出国審査ゲートの向こうへ消えてしまった。

朝食

パンとコーンスープ。

昼食

生トウガラシ炒め。

夕食

カムインハウスにて北タイ料理。

前日へ  翌日へ