4月24日 土曜日    天気は晴れ 

 朝、優泰を補習校へ連れていく。今年も私は補習校の修繕係りを担当させてもらっている。本当は備品などの管理台帳付けも仕事のひとつなのだろうが、私のやることはもっぱら大工道具を使った作業ばかりである。そしてこの補習校の教室にあるアルミ製のサッシ・スライド扉は、実に良くレールから外れてくれる。私の作業の大半が、この外れた扉をレールに戻す作業である。ワンパク盛りの子供たちがいるのだからレールから外れるのは仕方が無いと思うが、その外れる頻度があまりにも高い。タイのアルミサッシには何か構造的な欠陥か、品質上の問題があるのではないだろうか?
 これはアルミサッシに限ったものではなく、工業製品全体に不良品含有率が高く感じられる。K.K.トラベルで使っている私専用の電話も、まだ半年も経たないというのに、液晶画面は見えなくなり、先日からは通話中にヒドイ雑音が入って会話が成り立たなくなってしまうほどである。電化製品など、しょっちゅうナンカカンカ壊れている。修理人の工賃が安いのは良いことだが、ほとんどの場合修理人の技量も高くなく、故障の原因を究明することをせず、やたらと部品を交換してみたりして、治した気になっている。一応、製品なので保証期間なり、アフターサービスもあるようだが、まずは不良品発生率を低くするの先決ではないと思うのだが、、。

 依頼を受けているネパール旅行の企画書作りの資料が揃ってきたので、日中の時間をつかって企画書作りをする。私も20年前に一度だけネパールへ行ったことがある。が、資料を眺めていると、この20年間でネパールもだいぶ変わったようである。高級なホテルがいくつもあり、日本料理や韓国料理のレストランさえいくつもあるようだ。まぁ、当時の私はその手の施設や食堂に縁が無かったから、あっても気がつかなかったのかもしれないが、とにかく今のネパールは国際都市になっているらしい。チェンマイもだいぶ変わってきているし、20年と言うのはそれくらい長い時間の単位なのかもしれない。しかし、どうも私にはカトマンズの路地裏でインドではほとんど飲むことができなかった「酒」をふんだんに安く飲めたことを、つい先日のように感じている。と言うことは、この20年は空白のようなものだったのだろうか?それとも、現在の精神なり感覚が20年前に逆戻りしてしまったのだろうか?

 夜、Oさんと台湾食堂へ行く。Oさんはここの主人に依頼したいことがあったので、台湾食堂へ夕食を取りに行った。ここの主人は酒好きだし、一緒に酒でも飲みながら話せば、依頼ごとも引き受けてもらいやすくなるのではないかと打算して、棚の奥に秘蔵しておいたヘネシーXOを引っ張り出して持参する。ところが、そんな下心が良くないのか、ご主人は風邪を引いてしまっていて、酒が飲めないのだと言った。酒好きの人が目の前でブランデーなど飲まれたら、いくら商売とはいえ、面白くないだろう。そこで持参はしたものの、結局プランデーの封を切らずに持ちかえってきた。その代わりしこたま焼酎を飲んだ。とても飲み口の良い焼酎であった。

朝食

ご飯と「ふきのとう味噌」。

昼食

鶏肉の生姜炒め煮。

夕食

台湾食堂にて餃子など。

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