9月14日 火曜日    天気は曇り 夜に雨  

 あさ11時近くになってようやくベッドから這い出す。不眠症のおかげですっかり生活のリズムが壊れてしまった。昼ご飯を食べてからK.K.トラベル入りする。しかし、どうにも集中力に欠ける。それに気が短くなっている。些細なことでイライラするし、働くこと自体がバカらしく感じて来てしまう。こまったものだ。それに公開日記を再開しなくてはならないのに、ちっとも書く気にならない。メールも返信をしていない。沢山の人に心配をかけて、さらに見舞いのメールまでもらっていると言うのに、、。

 このホームページに付帯した掲示板への書き込みで「残党」と名乗る人からのものがあった。残党とは、私が以前勤めていて、その後倒産してしまったベンチャー会社に最後まで残っていた社員たちのことで、そのうちの何人かは、引き継がれた会社へ移って勤務を続けながら、自ら「残党」と名乗り、元の同僚を集めて飲み会などを催しているらしい。私は倒産する以前に、チェンマイへ赴任し、そのまま現地除隊したので、残党とは一線を隠しているつもりだが、この会社、社長やその周辺はまったく金の亡者で、とんでもない人たちだったが、社員はずいぶんと魅力的な人が多くて、職場は楽しかった。仕事はK.K.と同じくらいハードに取り組んだつもりである。何と言っても、ベンチャーだし、自分たちで新しい分野を開拓すると言う自負もあった。私がチェンマイへ赴任する時には、1日の売上が数百万円にも達する勢いであった。しかし、通信サービスと言う事業をしているにもかかわらず、自社の通信設備の許容量を考慮しない販売で、まもなくサービスが麻痺状態となり、そして数億円と言う負債を背負い込んで破産してしまった。私は再三の社長へ限界ポイントを示して、売上よりも収益率の向上を目指すように具申してきたのだが、金に目がくらんだ社長は聞き入れず、私は早々に退職した。それと前後して、私とほぼ同時期に入社していた現残党のKさんは、部長から取締役に抜擢された。やがて資金繰りに苦しみ出すと社長は、融資話に釣られてアフリカまでファーストクラスに乗って飛んで行き、逆に騙されるかたちで痛手を大きくし、半年後にはあっけなく破局を迎えた。私はこんな会社潰れて当然と思っていたが、取締役になっていたKさんに付いてはとても心配になった。仲も良く何日も徹夜でトラブルの解決にあたった仲だったし、良く一緒に居酒屋で飲んだり、昼飯を食べたりした。倒産と同時に社長は失踪した。負債額は数億円、債権者からKさんは攻め立てられたりしていないか、株主から訴訟を起こされはしないかと、私はとても気を揉んだが、結局はこのKさんも後を引き継いだ会社にそのまま採用され、今では自ら「残党」と称して、当時の社長の醜態を酒の肴に飲んでいるらしい。私も東京へ戻ったら、是非とも一献交わりたいところだが、まずは酒が飲める程度まで体力の回復が待たれるところだ。

 夕食にはコカでタイスキを食べる。タイスキ鍋を囲んでいるうちに大雨になり、雨は深夜まで降り続いた。そして、表の大通りは山手側から流れ込んだ雨水で冠水し、アパート前の道も洪水である。アパート向かいの広い庭がある家は家の周囲に土嚢を積んでいたが、流れ込む水に抗しきれず、床下まで水に浸かってしまっていた。そろそろ本格的な洪水シーズンになってきたようだ。

朝食

寝てて食べず。

昼食

昨夜の残りの竹の子の炊きこみご飯

夕食

コカにてタイスキ。

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