昨夜から泊まっている宿屋はオプゲーウ・リゾートと言うプアの町外れの丘に建つリゾートで、見た目はシャレー風の建物で、内部も山小屋のような簡素さであった。一応エアコンの設備も整っているようなのだが、温水シャワーは故障していて使えなかった。
6時半から朝食で、食事は建物の外に建てられた東屋でバイキングと言うことになっていたが、バイキングと言うには、ソーセージと目玉焼き、パイナップルとスイカ、それに冷えたトースト、まだ暖かいお粥がある程度で、バイキングと言うより民宿のセルフサービスを彷彿とさせてくれる。しかも、コーヒーもインスタントコーヒーの瓶とポットが置いてあり各自勝手に作って飲む形式である。この数日、朝食はバイキングで昼夜は、タイ料理の大皿が続いたので食べ過ぎ気味である。たまにはこの程度に止めておくのが得策かもしれない。この研修期間中、一度も空腹を感じたことが無いのだから、、、。
空腹を感じさせないのは、毎食毎食満腹になるまで食べていること以外に、あちこちの訪問先に行くたびに茶菓子のもてなしを受けるためでもある。大体ロールケーキと香りが無いのに濃くて甘いコーヒーのことが多いのだが、それを1日に何回も食べさせられるので、カロリーの取り過ぎとなってしまう。
今回の研修の目玉として私が期待していたのは、ラオスへの国境越えで、ムアンガンと言うラオス側の村へ の訪問であった。今回はナーン県知事の客人であり、警察の先導車が付く待遇で、本来外国人には閉ざされているホアイコンの国境をくぐらせてもらえることになっていたのだが、突然にタイ政府側から、国境を越える事は認められないと言ってきた。大変残念である。国境を越えるための正式手続き書類も警察署で作成してもらっていたのに、、。理由は、ラオス側でトラブルが発生した場合、県知事レベルでは解決できないからだそうだ。なんか、そんなことなどはじめからわかっていそうな気もするのだが、、。
それでも、ラオスとの国境を目指す。将来はこのハイウェイでラオスに入り、ラオスのパクベン村でメコン川を渡河して、中国までハイウェイを延ばす計画だそうだ。しかし、今のところは、タイの地方ハイウェイのレベルで舗装はしてあるが、交通量も多くなく、チェンライのメーサイへ向かう道よりずっと格が劣る。昨日より雨が続いており、あちこちの村が水浸しになっている。また、田植えを終えたばかりの田んぼも水をかぶってしまっている。山の斜面に段段畑風に田んぼを作っていて、その畦が決壊して、小さな茶色い滝の連なりができている。
国境までは、2時間近くかかった。ナーン県も広いものである。そして、国道から国境ゲートへ続く3キロほどの道は、先ほどのハイウェイの数倍も傷みが激しく、アスファルトがめくれていたり、穴が開いていたりする。酷い道で、これなら舗装をはがしたほうが走りやすいくらいである。「こんな道で国際ハイウェイに格上げとは」と言うのが感想であったが、これは後で物知りのマーガレットさんに教えてもらったのだが、この道路はラオスからチークの大木を積み、重量オーバーのトレーラーが頻繁に走るため、道路が荒れているのだそうだ。
タイ側の国境ホァイコーンは、良く整備がされすぎていた。きれいな国境ゲートがあり、国境市場も新しく整備されている。なるほど、「戦場から市場へ」のポリシーで周辺国との交易に熱心なタイだけあって、こうしたものは作るのが早い。しかし、国境を越えられない恨みだでは無く、この国境市場にも少しがっかりした。私としてはラオスの産物などが売られているのではないかと期待していたのだが、そのようなものは皆無であった。今日行くはずだったムアンガン村は銀製品で有名な村だし、手織物もこのあたりでは盛んだとした勉強していた。それが、そんなものなどちっともないのである。あるのはタイ製品ばかりである。洗剤や雑貨、衣類に金物類ばかり、、。そして、ここに買いに来ているラオス人もあまり多くない。もともと国境など余り意識していない山岳民が大半であった。
ホァイコーンの国境ゲートと国境市場、この整備のし方にタイ側の意気込みを感じる。 |
国境の検問所はイミグレーションや税関と言うより、本当に検問所であった。その検問所を守る国境警察の人に話しを聞くと、ここから数キロのところにムアンガンの村があるそうだ。そして更に30キロほど先のホンサー村まで彼は行ったことがあるそうで、「そこまで2時間もかかる酷い道だったよ」と言っていた。そして、市場にラオスの産物が無い理由は、現在は雨季で、ラオス国内の道路が未舗装で、トンでもない悪路のため、自動車の走行が不可能になっており、物資の行き来が絶えているのだそうだ。そのために、ラオスからの産物が国境まで届かないと説明を受けた。タイ側にはラオス各地やベトナム、中国への距離程表が記されていたが、どうやらまだまだ車で行けるような状態ではないらしい。
時々国境ゲートをラオス側から越えてくる人が手にポリタンクをぶら下げている。中には空のペットボトルの人もいる。「これはタイへガソリンを買いに来ているのです」と国境警察から説明を受けた。まったく、ラオス側には何にもないのかもしれない。ますます行ってみたくなったが、もともと外国人には開放されていない国境であり、行くことは不可能なのだろう。昼に国境のある郡役場で、国境交易について説明を受けた。国境交易は2年前に国境が開かれてから、大きな伸びを示しており、昨年は輸入が28,530,817バーツ、輸出が17,908,258バーツだったそうで、輸入されるものの多くは、木材だということである。他に水牛や野生の動植物、織物などで、輸出は建築資材、自動車や部品、燃料などだと言う。
タイ側の国境市場で売られているのは、ガソリンや日用品など |
ラオス側には入れなかったが、共産ゲリラとの戦闘記念場所へ案内された。今から30年ほど前に共産ゲリラとの戦闘で17人の死傷者が出たという高地へ案内され、そこで当時の話しを伺った。しかし、戦死された人には申し訳無いが、私は余り関心が無い。当時の陣地の跡なども泥んこの中を案内された。さびた武器も並べられていた。
予定では、チェンマイへの戻りが夕方6時と言うことになっていた。しかし、実際には、チェンマイに到着したのは夜中の12時少し前。ナーン県は遠かった。