「もう今晩チェンマイへ帰りましょう。ですから、今晩の宿泊はキャンセルしてください」と朝一番にSさんに言われる。昨晩の喧しさに、昨夜はほとんど眠れなかったそうだ。その前の晩も夜行で来ているので良く寝れなかったろうし、辛そうである。私は了解して、今晩の宿泊をキャンセルする。宿側は事前の取り決め出は当日のキャンセルは取り消し料が満額と言うことであったが、どうやらオーバーブッキング気味だったらしく、取り消し料は半額でと言うことで、喜んで取り消しに応じてくれた。私はあの喧しさにあっても、夜10時半には意識不明になるように眠りこんでしまっていた。しかし、7時半に依頼をしたモーニングコールはなんと6時前にかかってきて、やっぱりちょっと寝たりない。それに今晩も徹夜でハンドルを握るのだから、ちょっと辛そう。
朝食後、「やはり、あのコンドミニアムにします」と言うことで、再び町外れのコンドミニアムへ向う。そこのマネージャーと話し合いをし、今日前払い家賃を2ヶ月分払うことを条件に、10月から入居の予約を取りつける。まだ数ヶ月も先の予約を受けてもらえたのは幸いである。契約にあたり、もう一度部屋の中を確認させてほしいと依頼したのだが、日貸しの宿泊客がまだ退室していないから、午後にもう一度来てほしいと言われた。
余った時間でホアヒン市内を見学したり食事をとったりして、1時過ぎに再びコンドミニアムへ行ってみると「まだ退室していない」と言う。チェックアウトは正午のはずなのに、、。マネージャーは「もう少し待つように」と我々を受付前のイスに座らせたが、その部屋の宿泊客は外出中らしい。いったいいつ帰ってくるのかも判らず待つのも時間の無駄な気がした。そのうち、マネージャーは「宿泊客は今晩も泊まるから今日は部屋を見せられない」と言い出した。オヤオヤ、待たされ損のクタビレ儲けである。そんならそうと早く言ってくれればイイのに、、、。
帰り道にカンチャナブリを見学した。戦場にかける橋で有名な土地で、戦争博物館や犠牲者の墓地、慰霊碑などが点在する戦争の悲惨さと平和について考える神聖な土地のようなイメージながら、現実はここもタイであり、橋のたもと近くに浮かぶ船上レストランからは大音量でタイ・ポップスが流され、もう、この平和ボケして、頭痛を引き起こしそうな音量で神聖な感じは消し飛んでしまう。それでも捕虜の生活を絵で再現したり、当時の遺物を展示したりしている博物館を2軒回った。もう日暮れ直前と言うことで、入場者は他にほとんどいなかった。モデルになった鉄道橋ではタイ人観光客が沢山歩いて渡っていた。ここはチァアムと同じ観光地に過ぎないのではないかと言う気がしてきた。
夜9時過ぎ、夕食を終えてからチェンマイを目指す。小雨が降る中、ハイウェイから外れた田舎道を何度か道に迷いかけながら、北上し、チェイナートでハイウェイに入る。ハイウェイに入ってすぐにバイクの事故を目撃する。即死のようであった。私はライダーの遺体のすぐ脇をすりぬけたのだが、その遺体は身体が切り裂け、肩の上には頭が付いていなかった。対向車線から飛び出したのだろうか、人間の身体なんて、こんなに簡単にバラバラになってしまうものなのだろうか、、。夕方に見学した戦争博物館で、苦しみにうめきながら死んでいく捕虜たちの絵を見た後だったので、一瞬のうちにバラバラになって消えてしまったこの青年ライダーを目撃して、あの平和ボケしていると思われたタイ・ポップスの大音量も、なんだか若者たちの刹那性がもたらしてきたものではなかったと思えてきた。