朝一番にシェラトン・ホテルへ行って、日帰りトレッキングに参加されるお客さまをお見送りする。ガイドには特別に多少の日本語が分かる人を依頼しておいたらば、かろうじて日本語のフレーズや単語が分かる青年が来た。チェンマイ大学で日本語を勉強したことがあるそうだ。トレッキングツアーの参加者は全部で10人であった。そして日本人は私のところのお2人だけであった。シェラトンホテルからは他にも参加者があったが、その中の1組はアラブ系と思われる夫婦で、女性は頭から黒いベールをかぶっている。そして、集合時間に30分も遅れてやってきて、ちっとも悪びれたところがない。トレッキングのメンバーにこうしたお客さんがいるとトラブルが起こりそうで心配である。
またも義姉から小包が送られてきて、再三の注意にもかかわらず特大の小包のため税関で引っかかってしまった。今回は抵抗せずに従順に、言われたままの税金を耳をそろえて支払う。日本で買って送料まで払って送ってくれるのは嬉しいが、私にメリットのあるものは何もない。もっとも姉にしてみれば、私などは優泰を日本から連れ去った大罪人なわけで、チェンマイ送りになった優泰が不憫で仕方がないのだろう。だから、こうしてセッセと小包を送るのだろう。それにどうやらお母さんも義姉に「○○を送ってよ」などとムシンの国際電話をかけている形跡がある。大罪人だから、税金は罰金に相当するのだろうか、、。しかし、ほとんど無収入の私にとっては、これは大変に痛いのである。
昼前にソウルガーデン・レストランへ挨拶に行く。先週の韓国系航空会社の乗務員たちが夕食で世話になったし、今後も色々と助けてもらうこともあるかもしれない。韓国料理の食堂は、どこも高いので、私はほとんど出入りしないが、チェンマイに住み始めてすぐの頃に、私たちは家族でこのソウルガーデン・レストランで食事をしたことがある。その時、メニューに書かれた日本語が滅茶苦茶で、「これ直したほうがイイよ」と言ったことがある。しかし、「でも日本語わかんないから、アンタやってくんないか」と依頼されてしまった。「今度来た時にやるから」と言ってから、ずっと来ていなかったのだが、ここであったが3年目、「そろそろやってもらえるかなぁ」と催促されてしまった。しかも、今週中にとの締切りまで設定されてしまった。
優泰を学校に迎えに行ったついでに、学校に今学期分の授業料を納める。本来は1ヶ月前までに収めておかなくてはならなかったのだが、遅れ遅れになっていた。お金に窮していたこともあるが、もう少し待てば、円高が進んで、両替のチャンスが到来するのではないかと粘っていたのである。そして漸くそのチャンスが到来、20万円の旅行小切手を銀行に持ちこみ両替をする。今学期から英語の補習が免除されたので、授業料の負担も3割ほど軽減された。それでも、両替したばかりの帯封付き千バーツ札の束は、そのまま学校の会計係りの引出に消えてしまった。日本での支払いはほとんど銀行口座からの自動引き落としになっていて、札束などで支払う機会があまりないが、タイではまだまだ現金が幅を利かせている。そして、現金で支払うのは心理的に大きな圧迫感がある。
7時過ぎに帰宅しようとしたら、今朝未明に到着した韓国系航空会社の乗務員さんから「明日のツアーを頼む」と電話がかかって来た。ありがたいことだが、この時間からの手配なのでバタバタと忙しくなる。タイ人スタッフはもうとっくに帰っているし、一人でキリキリ舞をしてツアーを手配する。シーズンなので良いガイドの手配は早めにしたいだが、乗務員さんたちもチェンマイへ観光目的で来たわけでないし、夕食でも食べている時にでもツアーのことを思い立ったのだろう。帰りがけに宿泊先のオーキッド・ホテルへ立ち寄り「手配完了、明日は8時過ぎにお迎えに来ます。持ち物は、、。」と言ったメッセージを残してくる。
夜遅く、充電器のヒューズが飛んでしまったので、ヒューズを買いに出る。タニン市場の近くの電気屋がまだ店を開けていたのだが、女主人は「10Aのヒューズをください」と言っても、こちらを見ようともせずに、テレビを見て無視をしている。聞こえなかったのかと思い、もう一度声をかけると、息子らしい中学生くらいの男の子が席を立って、売り場の方へ進み出てきた。そのとたん「ないよ」と女主人が言った。電気屋にヒューズがなくてどうすると言うのだ。これもよくあることだが、この手の店の主人はやたらとぶっきらぼうなのがいる。そんなチッポケなモノなど売っても手間がかかるだけだから、「ない」と断ってくるのである。「まったく、そんな態度だから、市場前の一等地にあって、夜10時近くまで店を開けていても、繁盛しないんだよ」と私はミニバイクにまたがりながら一人毒づいた。
ヒューズはカーオーディオを扱っている店で買うことが出来た。なんと20バーツも取られた。でもまぁ、しょうがないか、、。