アンバサダーシティーだそうだ。兎に角デカイホテルである。ワイキキビーチのシェラトン系列ホテルを1箇所にまとめたくらい、高層のホテルが広い敷地にニョキニョキと建っている。私たちの泊まるのはその中のオーシャンタワーで40階以上もある建物だ。私は正直なところ、このような巨大ホテルはあまり好きではない。が、お母さんは気に入ったようだ。部屋にバスタブはないがなぜか洗面台とシャワーは2箇所ずつついている。
ホテルに着いてすぐに優泰とプールへ降りることにする。プールは海に面して何箇所かあり、いずれも巨大だ。中には泳ぐだけでなく足漕ぎボートを浮かべたプールもある。孔雀や鸚鵡の鳥舎(後で知ったが猿もいた)もあり、子供用の遊戯施設もある。食事をする施設も、スポーツジムやサウナ、土産物屋などなど、つまりここに泊まった人はここだけで全て楽しめるのである。優泰は小さな滑り台付のプールでしばらく遊んだが、足漕ぎボートに乗りたいとタダをこね始めた。しかし、人が沢山泳いでいるかにボートを足で漕いで漕ぎ出すなど無謀に思え、その願いは即座に却下した。
12月30日 月曜日
ここのホテルのプールも十分楽しめるのだが、やはり優泰は前回パタヤで泊まったパタヤパークのスライダーのあるプールへ行きたいと言う。韓国人と中国人でごった返すバイキング会場で朝食を食べ、パタヤパークへ向かう。
パタヤパークへはお母さんも一緒に来た。そしてここのプールはロシア人だらけである。アンバサダーホテルでもかなりロシア人を見かけたが、その比ではない。ここはウクライナの高級保養地かと疑うほどだ。21世紀となり世の中変ったものだ。アメリカとソ連がベトナムで代理戦争をしている時にアメリカ兵の保養地として開発されたパタヤへロシア人たちが保養に来ているのだから、、。
優泰はスライダーで遊んだり子供プールで遊んだり、私たちのパラソルに戻る事もほとんどなく遊びまわっていた。結局11時から5時までをこのパタヤパークで過ごす事になった。夕食はホテルに戻る途中のロータス・ショッピングセンターのクーポン食堂で取ることになった。スカイラークのテナントで優泰はハンバーグ定食(メニューの名前はムー・サムライ)で私は魚フライ定食(プラー・アメージングだそうだ)を食べる。ここもロシア人たちでいっぱいであった。
ホテルに戻るとロビーにはアエロフロートの乗務員たちが制服姿でたむろしていた。バンコクのドンムアン空港発着でここに宿を取ることは考えられないから、きっとパタヤ郊外のウタパオ空港へのチャーター便の乗組員であろう。それにしても米軍の北爆基地であったウタパオへアエロフロートがロシア人観光客を乗せてやってくるとは、いったい冷戦の勝者はどっちだったのだろう、、、。