チェンマイ〜バンコク
12月22日
先日、東京から帰ってくる際に飛行機の遅れた際、乗り継ぎ予定の特急列車もタイの汽車だから遅れる事もあるだろう、遅れてくれないと、こっちが乗り遅れる。遅れてくれぇー、、との祈りも虚しく、乗り遅れ、深夜のドンムアン駅で路頭に迷ったばかりだったが、ヤハリ、タイの汽車は遅れる。それとも今ごろになって私の祈りが通じたのか、、私たち家族が8時35分発のバンコク行き特急に乗るべく、8時20分にチェンマイ駅へ到着したが、ホームにはまだ特急は入線していなかった。
売店でハナミ(タイブランドの製菓メーカー)のカッパえびせんを買ったら、売店のおばさんが、バンコクからの列車が2時間遅れていると教えてくれた。私たちの特急はバンコクからの降り返し便なので、これは出発前から出足をくじかれてしまった。
バンコクからの列車は9時過ぎに入ってきて、バンコクからのお客を降ろしてすぐに清掃をし、折り返しの準備をしたが、結局1時間遅れの9時半過ぎにチェンマイを出発した。車内は冷房がガンガン効いていて寒い。冷房がなくても今朝は久しぶりに雨が降ったため、チェンマイは寒い朝だったのだが、、、。お母さんは着れる服をみんな着こみ、私のたった一着だけ持って来た長袖シャツも着込み、バスタオルも2枚も膝にかけて「寒い寒い」と言っている。
車内ではお菓子と飲み物のサービスを受けながら、景色を眺めていたところ、ランプーンを過ぎてクンタンの峠を登っているとなにやら車体の下のほうから白い煙が立ち昇っている。なんか変だなぁと感じていたら山の中で列車は止まってしまった。どうやらエンジントラブルらしい。たぶんチェンマイへの到着遅れもこれと同じエンジントラブルだったのだろう。この特急列車は韓国の大宇製の3両編成のディーゼルカーだが、エンジンも大宇製かどうかはわからないが、この山道にエンジンが耐えられなかったようだ。
40分ほど山の中で立ち往生して、遅れの幅を広げたところで、どこからか来た機関車にひかれて峠の上の駅まで引き上げられた。その後、下り坂では快調に走ってくれて、もう煙が立ち上ってくる事はなかった。優泰は昼寝をしてしまい。私はタイ語の単語練習をする。
12時過ぎ、昼食が配られる。ご飯にツミレ、肉と野菜の炒め物と言ったメニューであったが、肉には鶏肉と豚肉があった。しかし、希望を聞いてまわる事もなく配られる。飲み物は水である。レンジで温めた料理であり、まずくはないが、やはり食堂車でちゃんと作ってくれたものが懐かしい。窓も開かないので駅売りの食べ物も買えない。食事のサービスは嬉しいが、やはり好みのものを注文して食べたい。汽車旅の楽しみには乗車中の飲食が大きなものを占めている。
ウータラデットを過ぎると平坦な土地となり、列車はスピードを上げて走っている。通過する駅と時刻表の時刻を見比べると遅れを挽回し始めている。ピサヌロークで遅れは1時間まで縮まった。4時頃になって午後のお菓子のサービス。ケーキとクッキーにお茶である。甘いお菓子ばかり食べさせるのは如何にもタイの汽車らしい。コーヒーにも砂糖が2袋ついてくる。
タイ中部平原に入って山は遠のき、地平線も見えてくる。日は西に大きく傾き、ナコンサワンを過ぎると夕日が空を朱色に染めはじめ、やがて真っ暗になった。優泰もお母さんも眠ってしまった。アユタヤを過ぎると列車の運転間隔が詰まってきたのか、スピードが落ち始め、ドンムアンの空港から先はノロノロ運転で、終点のバンコク中央駅(フアランポーン)到着は9時少し前になった。
今晩泊まるのはトンタラホテルである。10階の部屋からはメナム川の夜景が眺められた。夕食に出かけようとお母さんを誘うが、もう遅いから出かけられないと言う。確かに9時過ぎだし、遅いがチェンマイから持って来たゆで卵で晩ご飯の代用とするのは寂しすぎるので、私一人ホテル近所の屋台でラーメン(バミー)をすする。この店はイスラムの店だそうで、豚肉の代わりにアヒルと鶏を使っていると言う。味は悪くなかったが、屋台のバミー一杯で40バーツは高かったなぁ。ホテルで待つお母さんたちに中華まんを買って帰る。部屋に戻って優泰に食べさせたところ中身は玉子と鶏肉であった。
「旅行のメインページ」へ
「バンコクからペナンへ」へ
|