4/7-4/9の間は日本に滞在していますので、チェンマイ日記はお休みです。
この間ラビット日記を、ざっと以下に紹介します。
4/7 (日) 今日は基本的に自由行動日。タイへ持ちかえるべき食料品などをディスカウントストアで買いあさり、大泉の家でラビットの整備にあたる。この一ヶ月の間でトラブルが若干発生していた。赤いラビットのスロットルが上手く回らなくなり、加速できないのと、リアシートの底の木部が腐って固定できなくなった事だ。スロットルについては以前経験があり、油をさしてやれば簡単に滑らかに回転するようになる。しかし、リアシートの腐ってしまった木部は簡単ではない。木部は薄いベニヤ板でできており、製造後40年近くなれば当然ネジも木部も腐ってしまい、ベニヤ板も糊が剥がれてしまうのだろう。剥がれたベニヤに再び凝固剤を流し込み、固めて、ネジも新しいものと交換したが、これだってどれだけ持つかは判らない。新しいのを作るのが最善策なので、シートのサイズを測り、木部を改めて厚みのあるベニヤで切り出す。そしてそれをチェンマイに持ちかえって、シートを作ってもらうことにした。
4/8 (月) ラビットも快調。朝一番に都内で済ませるべき仕事を済ませてしまい。今日はこれから当面のチェンマイでの生活費を銀行から下ろして旅行小切手にする作業をするだけだ。前回は時間切れでできなかった額面500ドルの旅行小切手を作ることも、今回は前回と比べて円安なので諦めて、円建ての額面5万円の旅行小切手を百万円用意しようと考えた。いつものようにひばりが丘にある元の第一勧銀へ行って、旅行小切手の申込書を書く。しかし、何たる事か在庫がないと言うのだ。あちこちの支店へ電話で確認してもらい、最後は本店にまで電話をしてもらったが、結局どこにもないらしい。女子行員の説明によれば、先月末までなら在庫が沢山あったが、新生みずほ銀行発足にあたり、それまでの「第一勧銀」と書かれた旅行小切手は全て廃棄してしまったと言うのである。そして、廃棄した後の補充が本店ですらされていないそうだ。まったく、お粗末な事ではあるが、今回のみずほ銀行のゴタゴタについては、銀行の幹部の方々には多いに反省して欲しい。お客も迷惑しただろうけど、現場の行員さんたちが一番苦労をしているはずだ。罵声を浴びせられるのも行員さんたちだし、頭を下げるのも行員さんだ。今回の合併ではきっと現場からの声が上層部に届いていなかったのだろう。
大泉の家へ小学校の先生が来たそうだ。なんでも「今日の入学式に来てなかったので心配して来た」そうだ。まったく申し訳ない事をした。区役所へは住民票を残したままチェンマイで暮らしているとは言ってあったし、日本人補習校を通じて在外教育を受ける事は文部省にも伝わっていると思っていたが、大泉の小学校までは何も連絡が入っていなかったそうだ。急いで小学校へ行き、先生へ事情を話して頭を下げる。学校側は住民票を元に受け入れ準備をしていたそうだ。書類上だけの事だが、優泰は立った1日だけ日本の小学校に在籍していた事になった。そして、その当日に除籍となった。
4/9 (火) タイへ戻る日。朝5時半に実家を出て、羽田の中華航空国際線ターミナルへ向かう。羽田は成田より近いが中華航空は羽田空港の駅から10分くらい歩かなくてはならない。今回は荷物が少ないからそれでも、まだ楽だ。9時過ぎの中華航空は満席であった。台北の空港で2時間半の乗り継ぎ待ち。待合室にインターネット用のデスクがあり無料で電話線が使えるとあったが、台湾でのプロバイダーへのアクセスを持たない私には、何の役にも立たなかった。待ち時間の間にずっとサボっていた日記の更新をおこなう。
台北からバンコクへのフライトは台湾の人よりも日本人の団体客の方が多いくらいであった。アンコールワット遺跡見学のツアーが何組も乗り合わせていた。中華航空などは、名古屋や福岡あたりからバンコクへ出るのに好都合なのかもしれない。
バンコクには4時半過ぎに到着。汽車の時間まで4時間も間がある。駅へ行ってもっと早い汽車に乗れないかと相談したところ、1等車にも2等車にもキャンセルが一席ずつ出ている事が確認できた。しかし、1等車のキャンセルは女性の部屋だそうで私は乗せられないとの由、2等車は問題ないが、今もっている1等から2等へ変更しても差額は払い戻されないとの事であった。結局、駅で8時半の汽車まで待つことにした。
汽車は少し遅れてやってきた。1等寝台は2人部屋の個室になっており、鉄道警察官と同室になった。とても物腰の柔らかい人で、バンコクに家があり、これからウタラジットまで行くのだそうだ。週末のタイ正月も「家には帰れない。警官には休みがないから」と言っていた。私は汗をかいたのでベッドで横になる前にシャワーを浴びた。
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