12月31日 火曜日    天気は晴れ

 午前4時に起きだし、4時半にはアパートをビートルで出発する。今日は先日大阪からやって来ているOさんとビルマへ日帰りする。ビルマへ往復すると言っても、飛行機で行くのではなく、タイ最北のメーサイからの国境越えである。ビルマ国境を越えてから、目的地までどのくらいの距離があるのかわからない。目的地はOさんの知り合いの実家だそうで、私も滅多にビルマ奥地の村へ行くチャンスなど無いし、面白そうなので、案内役を兼ねて同道することにした。そのOさんにしても、その家に行ったことがあるわけでなく、場所をタイ語で書いてもらったメモがあるだけである。

 寝静まっているナイトバザールでOさんを拾い、真っ暗な中を一路チェンライへの山越えをする。本日もエンジン快調。山道でもほとんど速度を落とさず、トップギアのままグイグイ登ってくれる。チェンライの手前で夜が明けたのだが、ものすごい霧で視界が利かない。バンコクからの国道1号線に合流すると、早朝であるにもかかわらず、かなりの交通量である。それも、長距離トラックなどではなく、バンコクナンバーの乗用車ばかリである。きっと夜通し走ってきたビルマ国境へ向かう観光客なのだろう。

 国境を越えるに当たって、パスポートに出国のスタンプを押してもらうかどうかで、ちょっと考えた。現在持っている滞在許可は約3週間分残っている。ここで出国スタンプを受けて、ビザなしで再入国すれば、今日から1ヶ月分の滞在が認められるだろうが、ビザ無し滞在までまだ落ちぶれたくない(?)との感情から、パスポートにはスタンプを受けず、パスポートのコピーを使って出入国をすることにした。

 国境はタイ人観光客でごった返していた。ビルマ側に入国して、メモにある土地への行き方を、たむろしている三輪バイクタクシー運転手に確認してみる。が、どうも彼らはタイ文字が読めないようだ。私が読み聞かせても良く通じない。何人かに確認してモーターバイクのタクシー運転手が解ると言う。しかし、どうもビルマのバイクタクシーは一台にお客を一人しか乗せないことになっているようで、我々はバイクタクシーを2台雇うことになった。ビルマ側の町タチレクの道路状況は良くない。舗装は穴だらけで、交通量は多く、埃っぽい。昔に初めてこの町に足を踏み入れたときには、コンクリート建物もほとんどなく、町も5分も歩くと尽きてしまうようなありさまだったが、かなりの町になっている。5年前にここから150キロほどのところにあるチェントンと言う町まで行ったときはひどい悪路で、四輪駆動車で8時間ほどもかかったが、なんと今では有料道路まで完成していて、2階建ての観光バスまで走るそうだ。変われば変わるものだ。

 有料道路に入ってしばらく行くと、検問所があった。こりゃことになるかなと思ったら案の定、こんなところまで来るとはケシカランと言っているらしい。さっさとタチレクの町へ戻れと言う。しかし、ここで引き下がっては、案内役を引き受けた身として面子が無い。バイクタクシーの運転手たちも食い下がってくれて、検問官が、然らば国境に戻って、この先まで行けるような書類を用意して出直して来るようにと指示してくれた。再びバイクの後ろに乗っかって国境を往復した。

 伺うべき家は、検問所からさらに5キロ先にあった。クオッティオうどんの粉を製造販売している家で、その周辺ではかなり立派な二階家で、聞けば昨年新築したばかりで、80万バーツかけたそうだ。トイレをお借りしたら、土間にはツルベ式の井戸があった。このあたり、まだ上水道が無いようである。

 帰り道では、各所で渋滞に見舞われ、アパートにたどり着いたのは6時過ぎになっていた。それからアパート内の人たち何人かでItさんの部屋へ伺い、紅白歌合戦などを見ながらパーティーをする。日本で除夜の鐘が鳴っている時には、まだこちらでは宵の口で、私はまだまだ盛んにビールを煽り、こちらでの年越し時には、既に酩酊気味であった。12時前後に、沢山の花火があがり、爆竹がはぜた。日本風のおごそかな年越しと言うものは無かった。

朝食
メーサイの食堂にてクオッティオうどん。
昼食

タチレクの町にて空芯菜炒め、シーフードのトムヤムスープ、豚肉の唐揚げレモンソースがけ、玉子チャーハン。

夕食
カニのカレー炒め、豚挽き肉だんご揚げ、春雨のヤム、韓国チジミ、肉テンプラ、年越しそば。

前日へ  翌日へ