旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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9月30日 月曜日    天気は晴れ 

 午前中にラム病院の見学。ツアー参加者の中に昨夜から足の痛みを訴える人が出て、お客さんたちが病院内を見学して回っている間、私はその方に付き添って、治療を受けさせ、簡単な通訳をし、保険手続きの書類を用意する。ますます、私の立場はツアー添乗員化してきてしまった。

 病院を出てから、しばらくして、バスの乗り降りの際に、ステップの台が歪んでいて、私はステップを降りる際にコケテしまった。そして右脛をステップに打ち付けてしまった。皮が裂けて血が滲んできた。軟膏をもらいプラスターで覆ったのだが、とんでもなく痛い。脛は直径10センチくらいの範囲で腫れ上がり、傷口だけは5ミリくらいエグレて血がたまっている。できればラム病院へ引き返して治療を受けたいところだが、団体ツアーじゃそう勝手も許されない。

 昼食には、九十番の店主さんにレクチャーをたっぷりとしてもらった。店番もあり30分くらいしか時間が避けないと言われていたが、1時間も同席してもらい、尚且つ手作りの案内まで用意してくれていた。この昼食には私も同席が許されて飲茶を食べさせてもらった。飲茶と言っても日本でなじみのある蒸しエビ餃子やシュウマイ、チャーシュー包などではなかった。

 夕方からメコン流域四カ国商品展示会EXPO2002を見学に行く。会場は700年運動場。四カ国と言うのはタイ、中国、ラオス、ビルマである。展示は体育館の中にタイ以外の三カ国の商品展示と、その周辺にテントを張ってタイのどこにでもあるような屋台風雑貨屋がならんでいた。中国の陶器売りだけは、体育館からはみ出し、露天に陶器を並べて売っている。商品展示即売会でも、四カ国の国力はハッキリしていて、タイ以外では中国が圧倒的に展示スペース、展示品とも他を圧倒している。ビルマやラオスが地味な手作りの品が中心なのに対して、中国は大型の農業機械から、一本10バーツの口紅まで、地元の見学者たちも沢山集まっている。お母さんにせがまれてラオスの手織りシルクのショールを買い求める。安い品ではなかったが、値段に相応したしっかりとした品であった。ナイトバザールなどで売られているようなものとは別物である。
 タイの展示品は空調付き巨大なテントで取り扱われていた。こちらは特産品というものだけではなく、携帯電話やら建売住宅やらと、まったく意味不明の展示会場なのだが、ものうちの一軒で足が止まった。サンカンペンの陶器屋なのだが、定価の1/10ほどで大バーゲンをしている。品揃えも前衛的な作品や、上品な陶器が並んでいる。陶器なので重たく、かさばり、壊れやすいので、ほしいものを何でも買い込むわけにいかないのが残念だ。
 足の脛の痛みは麻痺してしまっているのかと思って、ズポンの裾をたくし上げてみると、右足が血だらけになっていた。

 夕食の時間に遅くなったので、外食することにする。食べに入った食堂はチェンマイ大学近くのバビロンと言うイタリア食堂。小さな店で、素朴な感じを漂わせているが、雰囲気としてはイタリアの田舎か下町の食堂と言った感じである。店主は白髪のイタリア人であった。メニューはアンティパスタから選択していける本格派であり、料金も田舎食堂としてはチョット高めであった。貧乏人の我々は、スパゲティーとピザを分け合って食べる事とするが、このふた皿で約300バーツ。が、味はしっかりしていた。ボロネーズのスバゲティーは挽肉のソースもパスタの茹で加減もすばらしかった。ちょっと高いけど、また食べたくなるような店であった。チェンマイ市内の高級イタリアレストランに出入りしているお母さんすら「ここのが美味しい」と言っていた。

朝食
パンとキャベツの千切り。
昼食
チェンマイ。オーキッドホテルの飲茶。
夕食
イタリア食堂バビロンにてスパゲティーとピザ。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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