2月27日 水曜日 天気は晴れ
今日は日本からロングステイ下見ツアーとして3人ほど日本人が来ることになっている。私が以前働いていた旅行会社の斡旋ツアーで、私では高齢者向けのレクチャーには不適格かと思い、同じタイ語のクラスのIさんにレクチャーをお願いした。場所はオーキッドホテルの中華料理レストランの個室。昼食を取りながらという設定であった。やって来たのはご夫妻が1組に男性の1人参加が1人。豪華な中華を食べながら雑談風にチェンマイでの生活の話をする。私は、高齢者の海外生活になにか口出しするのは僭越と思えたので、その代わり紙にチェンマイでの生活に必要な買い物や通信事情、住宅事情などをまとめて手渡した。チェンマイにはあと3泊してあちこちを見学して回るそうだ。チェンマイを気に入ってくれるといいのだが、、。
午後、お母さんが優泰が学校から借りていた本を返すのでお礼を兼ねて学校へ同行するというので、一緒にビートルに乗り込んで学校へ向けて出発した。しかし、アパートを出て少し走ったところの丁字路を抜けようとした際に、脇道からアメリカ人の運転するモーターバイクが飛び出してきて、ビートルのフェンダーに衝突した。幸運にも怪我は無いようだが、ビートルのフェンダーは凹み、無残な姿になった。明らかにモーターバイク側の過失であり、非はアメリカ人にあるのだが、このモーターバイクの後部座席には若いタイ女性が乗っており、彼女が猛然と私に抗議してきた。「まだ買って一ヶ月にもならないバイクをどうしてくれる」などとほざいているので、交差点脇の店に頼んで警官を呼んでもらう事にした。すると彼女はバイクにまたがりどこかへ行こうとする。私はそのモーターバイクからすかさずキー抜き取り逃げられないようにした。「私のバイクに何するのだ。事故を起こしたのはアメリカ人だから私は関係無い」と言い出した。しかし、当事者ではあるわけだし、私はキーを返さず警官の到着を待った。
警官はやがてやって来て現場検証を始めた。彼女は熱心に警官に取り入ろうとしていたが、警官は黙々と現場検証をして、彼女の言う事に耳を傾けなかった。しかし、私も優泰を迎えに行く時間であるし、ここで悠長にしているわけに行かないので、検証が終わったところで、この続きを警察署でやろうと提案した。そして、警察署での待ち合わせ時間は4時半ということになった。
優泰を学校から連れかえり、チャンプアク警察署に行く。予定時間に着いたのは私一人でアメリカ人も、担当の警官もまだ着いていなかった。しばらく待ってアメリカ人がやって来て、警官も間もなくやって来た。しかし、アメリカ人の連れのタイ人女性は現れない。このまま話しを進めても言いのだが、警官は英語がわからないし、アメリカ人はタイ語がわからない。警官は私にタイ語と英語の通訳をさせながら取り調べを進めようとしたが、しかし、当事者が通訳をするのはフェアではないと考え、連れのタイ人女性が来るのを待つことにした。アメリカ人は何度も携帯電話でコンタクトを取ろうとしたが、連絡がつかないようであった。仕方ないので、ツーリストポリスに来てもらうように提案した。
ツーリストポリスは6時近くになって、タイ観光局の通訳官を連れてやってきた。始めは非を認めず、賠償に応じなかったアメリカ人もとうとう通訳官にまで説得されて、私のビートルの修理代と修理期間中の代車代(但しモーターバイク)を支払う事で示談が成立した。私は再びツーリストポリスのパトカーに護衛されて修理工場へ向かうことになった。修理は明日の朝からで、明後日の夕方に完成するとのことであった。そこで、工場へ入れるのは明日の朝からと言う事にした。
朝食
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海苔を巻いた焼餅を食べる。優泰とお母さんは海苔以外にスライスチーズも載せている |
昼食
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オーキッドホテルで中華料理を食べるが初対面のお客さんと一緒だと、つい昔のように箸が伸びなくなって、あまり食べられないで終わってしまった。 |
夕食
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昨日の残りのポークカレーを温め直して食べる。ポークカレーは2日目が美味しいと思う。おでんと一緒だ。 |