11月26 月曜日

朝食は昨日スーパーで買ったパンである。市場で買ったトマトやキュウリ、カリフラワー、アスパラガスなども食べる。優泰を学校へ送り、私はYMCAのタイ語の準備をする。その間、お母さんとオフクロさんはお茶などを飲みながら話している。話題は私のことで、当然ながら私に対する不満の応酬である。私は馬耳東風を決め込んでタイ語の単語に取り組む。

9時半過ぎにお母さんをダンス教室に送りこみ、その足で私はYMCAに駆けつける。今日は久しぶりにクラスにほとんどの顔ぶれが揃ったようで、8人ほどになった。みんな他にやるべき事や仕事などがあって忙しくてなかなか出席できないのであろうか、、。今日の先生はミンさんであったが、授業を進めるペースが速い。きっと、メンバーが揃っているうちに進めようとしているのかもしれない。宿題もたっぷりと出してくれた。

12時にアパートへ戻るとお母さんはダンス教室から戻っていたが、オフクロさんは部屋にいなかった。ショッピングセンターにでも買い物に言ったのだろう。私は昼食を買いに行くことにする。何を食べさせようか迷ったが、まだオフクロさんにカウマンガイ(鶏載せご飯)を食べさせていないので、いつものカウマンガイ専門店へ行き、持ちかえりで3つ買う。ここではビニール袋や発泡スチロールの弁当箱ではなく、油紙に包んでくれるといった昔ながらのテイクアウトであった。もちろんバナナの葉っぱなんかにくるんでもらえたら最高なんだが、いまどきバナナの葉っぱを使っている店がどのくらいあるだろうか、、。

昼食後は慌しかった。お母さんが週末に韓国へ行く切符の代金払込みと銀行での両替、オフクロさんの帰りの飛行機の予約変更を1時間以内で済ませなくてはならない。このところ急にタイ・バーツが上昇している。円は1バーツが37円台から34円台へと約10パーセントの上昇。タイドルでも、1ドル45バーツ近くから今日は43バーツ台となった。日本の貯金を食いつぶしているものとしてはなかなか苦しい。いったい何故この時期にバーツが上昇するのだろうか、、。

手続き関係を大急ぎで処理し、旅行会社でも無駄話をしないでアパートに戻ったので、時刻はまだ1時半過ぎであった。しかし、ひとつ忘れていた事があった。我が家で使っている象を模った醤油受けをオフクロさんが買いたいといっていたので、今日それを売っている店へ案内すると約束していたのだ。しかし、このあとのスケジュールは学校へ優泰を迎えに出かけ、そのままアパートには戻らない事にしていたので、今すぐ陶器屋へ案内しなくてはならない。時間的に30分ほどしかないが、オフクロさんをビートルに乗せてスアンドーク門近くの陶器屋に急ぐ。お目当ての象を模った醤油受けは5個あったが、そのうちひとつは焼きあがりが悪かったので、4個だけもらう事にする。ひとつは10バーツであった。

学校へ優泰を迎え、優泰は日本語補習校のひらがなの宿題を済ませていなかったので、学校のベンチで宿題をさせる。まだ、ひらがなをうまく書けず、「かきくけこ」を書くのにもかなり時間がかかる。結局補習校の始業時刻までに宿題を終わらせられず、そのまま補習校へ向かう。

補習校のある建物の警備員さんは以前ナコンピンコンドの警備をしていたお兄さんなので、ここの駐車場に私がバンコクへ行っている間ビートルを止めさせてもらえるようにお願いしようと思っていたが、残念ながら今日は彼はおらず、おじさんの警備員がいた。し方がないから鉄道駅前の有料駐車場へ止めることにしよう。しかし、あそこは露天だし、夜の警備もしていなそうで、一泊させるのはちょっと不安だなぁ、、。

補習校で優泰の授業が終わるのを待つ。補習校の壁にビルマのラングーンにあるヤンゴン日本人学校の紹介が貼ってあった。ヤンゴン日本人小学校では今年チェンマイへ修学旅行をして、ここの補習校にも訪れていたそうだ。バンコクの日本人学校がチェンマイへ修学旅行にくる事は聞いていたが、ビルマからも修学旅行でチェンマイへ来るとは想像もしていなかった。

4時に補習校が終わり、鉄道駅に迎う。途中で道が混んだので、駅についたのは汽車の出発5分前であった。優泰とお母さんに見送られて私とオフクロさんは車上の人となる。今回は冷房つきなので外からディーゼル機関車の煤煙が入ってくる事はない。それに埃も入らないから車内も比較的きれいだ。まだ日没前だが、さっそくテーブルを設えてもらいメコンウイスキーを飲むことにする。食堂車から鶏とカシューナッツ炒め、鶏肉のマナオと唐辛子和え、豚肉のカレー炒めなどを取り寄せる。料理を運んでくるポッチャリしたウエイトレスになんとなく見覚えがあった。確か何年か前に同じように汽車に乗り食堂車から料理を運ばせメコンを飲みながら優泰の現像したばかりの写真を見ていたら、「かわいいから1枚ほしい」と優泰の写真をせがまれ、好い気になってあげてしまった事がある。その時のウエイトレスのようだ。もう4年も前のことだ。確認してみると本人も私のことを覚えていたようだ。夜行列車の食堂車でウエイトレスをするなどというキツイ仕事によく4年も耐えているものだ。彼女も愛想良く料理やメコンウイスキー用の氷を運んできてくれたりする。

毎晩良く寝ているはずだが、夜8時になるともう眠くなってきてしまう。私もオフクロさんも寝台は下段同士で予約をしているので、隣の席も寝る支度をしてもらわないとベッドを設えてもらえない。隣は若者のグループでカード遊びに興じている。まだ8時だし、「もう寝るから」とは言い出しにくい。車窓から外を眺めても闇ばかりで明かりは何も見えない。ランパンを過ぎ、次ぎはデンチャイに停車だろうが、峠越えもありまだ1時間以上かかるだろう。9時近くなって、私が眠そうにしているのに気づいたウエイトレスの彼女が隣のグループ声をかけて、寝台を作ることにしてくれた。本来の消灯は10時だから1時間も早い消灯となった。

 

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