旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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3月26日 水曜日    天気は晴れ   

 Isさんたちとの約束は6時半にエレベーターホール前である。往路はチェンダーオ、ファーン経由の道を取る。Isさんの妹さん親子は首長族を是非見てみたいと言う。そこで、昨晩チェンライの旅行社のSomさんに電話をして、この街道沿い近くに住む首長族の情報をFAXで送ってもらったのである。ところがこのファーン街道に入ってしばらくして、Isさんが、昨夜話し合ったんだけど、今回は首長族を見なくても良いから、ゴールデントライアングルへ行くことにしたよと言う。ゲロゲロ、何だって、、。そんならそうと最初に言ってよ、でもまぁイイか、チェンダーオの洞窟でも見てもらうってのも悪くはない。それでそのままファーン街道を北上する。妹さん親子はまだ朝食を食べていないと言うので、チェンダーオの町に入る手前の峠にあるホームメイドと言うレストハウスに立ち寄る。豪華ではないが自然と調和してなかなか雰囲気の良い店であり、お母さんのお気に入りの店のひとつである。
 店に入ると、いつものオーナーとは違う女性がいた。経営者が変わったのだろうか?アメリカンブレックファストをひとつと、おかゆ定食を二つ、それに私とIsさんはコーヒーを注文。まだ朝早いためか、注文の品が届くのに随分と待たされた。15分ほどしてコーヒーだけを持ってきて「お粥にはもう少し時間がかかる」と言う。ひょっとして、お米から炊いているのであろうか、、、。さらに15分ほど待って、トーストなどのアメリカンブレックファストが運ばれてきた。お粥はまだ時間がかかるのだろうか、、と考えていたら「今朝はおかゆが作れない、サンドウィッチでも作りましょうか」と言う。まったくどうなっているのだ、、、。

 チェンダーオの洞窟には私はもぐらずにIsさんたちだけにもぐってもらう。もう何度も私は入ったことがあるし、それよりここに出入りする観光客たちを見物しているほうが面白そうだったからである。ここにはタイ人の観光客グループも来るが、西洋人も多い。そして、西洋人には二種類あり、高齢者の団体客か、若い個人の男性客である。その西洋人男性個人客はみなタイ人女性を連れている。仲良く手をつないでいるものも多い。日本人男性ではチェンマイ市内のレストランなどでタイ人女性を連れているケースは中年以上に限られるが、西洋人の場合は、若者に多い。これは一体どのような理由によるものだろうか?

 チェンダーオからはひたすら街道を北上しつづけ、メーサロンとの分かれ道近くまで来た。ここから首長族の村まではすぐなはずなので、首長族を見なくても良いのかと再確認したが、「見なくても良い」とのことだったので通過する。その後「Welcome to Yao」とヤオ族の村の入り口と思われる看板が出ていた。休憩でも使用かと思っていた矢先だったので、右に折れて立ち寄ってみた。が、ヤオ族の生活感あふれる村と言うより、刺繍などを並べた安っぽい土産物屋ばかりで、民族衣装を着ている人の姿さえない。大半が古着のようなジャージーを着ている。それに冷たい飲み物でも飲みながら休憩取れるような場所すらなかった。

 国境には1時には到着。私は国境で手間取ってしまった。と言うのはパスポートを持ってこなかったのである。てっきりパスポートのコピーを二部提出すれば、代用できるものと思い込んでいた。ところが、パスポートは必要だし、預かるのだと言う。そう言えば、そんなシステムだったような気もするが、それでも私はパスポートを持って来ていない。係官に運転免許で代用してもらえないかとお願いしたところ、「まぁイイだろう」と言うことにしてくれた。おまけにパスポート預かり手数料の50バーツも請求されなかった。

 ビルマ側ではレジーナホテルという所へ行き、昼食にした。町外れの高台にあるホテルであり、そこまでの道はビルマらしくボロボロであったのだが、なんとゴルフ場があり、ホテルは豪華なものであった。一体どんな人間がこのような施設を利用するのであろうかと訝っていると、ホテルに入ってすぐにわかった。濃いスモークガラスのドアを開けて中に入ると、一般のホテルなら、レセプションやロビーラウンジになっている場所にずらりとスロットマシンが置かれている。どうやらこのホテル、タイからのカジノ客を当てこんで作られているらしい。日中と言うこともあって、ホテルのレストランには客は多くなかった。何品か注文して、待つが、ここでも随分と待たされた。そして料理が出てくる順番がなってない。始めに一升飯で作ったかと思われるようなとんでもない量のチャーハンが出され、それから卵焼き、炒め物と続き、本来口汚し的なナマズのフレーク揚げだの雷魚の姿揚げのように始めに出てくるべきものが、チャーハンの食べすぎでうんざりした頃に出てきた。

 ビルマの国境市場ではお母さんから頼まれた買い物がったので、30分ほど市場めぐりをして探し回ったが見つからなかった。言い付かっていたのは、テフロン加工のされた大き目のフライパンである。私もこの市場なら中国製品が豊富だから見つかるだろうとタカをくくっていたが、圧力鍋や魔法瓶などはいくらでもあるのにフライパンは探し出せなかった。ここの国境市場、雑多なものをやたら沢山が売っているが、実際のところどの店も同じような品物を取り扱っており、偽ブランドの電化製品、海賊版のビデオ、お菓子、圧力鍋程度の品揃えしかない。

 ビルマ国境からの帰りには、ゴールデントライアングルに立ち寄り、メコン川岸で小船を雇って、ラオス側にあるドンサク村と言う小屋がけの土産物屋が並ぶ集落に上陸した。ここではパスポートのチェックも無かった。一応ラオスらしく、ラオスの土産風もある。私はラオスビールを一本買ってみた。しかし、ここまでどのようにして運んできたのだろうか、保管状態も怪しげで、ビールの味が変質してしまっているのではないかと気になるような売られ方であった。値段は缶ビールが30バーツ、大瓶が50バーツであった。ラオス一般の価格としては随分高い。いっそのこと免税店でも作ってくれれば良いのに、、。

 帰りは夜道になってしまった。チェンライを通り抜けたのが6時半過ぎ、日没後の山道をフルスピードでチェンマイに向かう。チェンマイに着くのが遅くなっては夕食を食べられなくなってしまう。私のビートルも良く走ってくれるが、今日運転しているIsさんのトヨタ・ソルーナも良く走ってくれる。エンジンのパワーがビートルとは比較にならないので、山道でも楽々登ってくれるし、ブレーキの利きが良いので、下り坂やカーブでもスピードを落とさずに走れる。今までに何度もチェンライへ往復してきたが、今回は速さでの記録を達成した。180キロの山道を2時間で駆け抜けた。私のビートルの記録では2時間半が最短であったので、フルマラソンで、男子と女子の世界記録並みの差があるわけだ。おかげで、チェンマイではルグランランナで夕食を取ることができた。

朝食
ご飯と炒り玉子。
昼食
ビルマ・タチレク村にあるレジーナホテルにて、雷魚の姿揚げ、ナマズのフレーク揚げの和え物(ヤムプラドゥクフー)、鶏とカシューナッツの炒め物、卵焼きカニチャーハン。
夕食
ルグランランナにて雷魚の蒸し物、グアバのソムタム、五目野菜炒め、ココナツのトムヤムクン、牛肉の和え物。
 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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