朝早くからチェンライ市の地図作成を昨晩に引き続きおこなう。市内の主な通りと有名な寺院などを書き込んで午前中のうちにメール添付で仮納品をしてしまう。次に12階の部屋のエアコン室外機設置場所へ網戸を取り付ける作業に取り掛かる。散々あちこちのアルミサッシ屋から、そんな高いところに取り付けることはできないとサジを投げられつづけてきていたのだが、取り付けないわけにはいかない。そこで、取り付けは自分でやるからと、アルミ網戸の作成だけを先日依頼しておいた。本来なら昨日の昼には完成しているはずであったのだが、納期は守られておらず、今朝にずれ込んでいた。サッシ屋から出来上がった網戸(270バーツ65×94cm)を受け取り、さっそく取り付け作業に取り掛かる。アルミ網戸をどのようにして取り付けるかを散々考えたが、L字型の金具と木ネジで取り付けることとした。しかし、実際に取り付けようとすると、サイズが合わないのである。調べてみると縦横とも7mmずつ大きくなっていて、窓枠にはまらない。あぁまたかぁ、、。実は今日の午後には12階の部屋に入居者が入ってくるから、今からサッシ屋に作り直しを指示しても間に合わない。こうなったらば、金切りノコではみ出している部分を切り取るしかない。安い素材で、しかも柔らかいアルミとは言え、ノコギリで切るのにはなかなか苦労をした。全身汗まみれである。そして、1時間ほどかけて切断を完了。恐る恐る12階の窓から身体を乗り出して窓枠の外側から網戸を固定していく。下を見ると足がすくむし、これで地震でも来たらお陀仏だなぁと半分観念しながら作業をおこなった。
午後1時に小屋がけ食堂のおばさんのところへ行く。入居者の荷物運びを手伝う約束になっており、私1人では手が足りないので、食堂のおばさんのご主人、ピーピヤクに助っ人を依頼しておいた。現在入居人の住むアパートはナコンピンコンドから直線距離にして300mほどと近くである。おばさんのところで昼食を食べながら、ピーピヤクに依頼した荷物運びだけど大丈夫ななぁと聞いてみると、おばさんは、「ちょっと待ってて、今起こしてくるからさ、まだ寝てんだよ」と言う。それからしばらくしてシャワーを浴びる音が聞こえてきた。おばさんが言うには、自分が今朝5時に市場へ買出しに行くころまでピーピヤクは起きていたそうだ。別に仕事をしていたわけではなく、コンピューターゲームをしていたそうである。
2時より引越し作業を開始。独身の若い女性で、引越し荷物などはそれほど多くも無く、ピックアップトラック一台で事足りてしまった。一番大きかったのがテレビである。もともと12階の部屋にもテレビがあるのだが、さして広くも無い部屋に大きなテレビが2台並ぶことになってしまった。さて、この直線距離にしてわずか300メートルほどの引越しにかかった費用であるが、290バーツ(約800円)であった。ピーピヤクへの手間賃として200バーツ、もとのアパートの警備員へチップ20バーツ、ピックアップトラックに70バーツである。このトラックの運賃もピーピヤクが交渉しての金額で、はじめ私が交渉したら200バーツと言われた。引越しの運賃は特別なのだそうだ。しかし、引越し屋ではないから、トラックの運転手は運転席から降りて荷物の載せ降ろしを手伝うことも無かった。優泰が生まれたときに我が家は引越しをしたことがある。それまでの8畳一間の小さなプレハブアパート(しかし、家賃は75000円もしていた)から、やはり200メートルほど先の中古木造住宅に引っ越したのであるが、この時は家具類があったこともあるが、8万円ほどかかった、条件は異なるが、チェンマイとは百倍の費用の差が出たことになる。
夕方に旅行会社で日本語を教える。それからラジオ局に入って番組をこなす。本日は相棒のチュンポンさんがボーリングの試合のために地方へ出ていていない。しゃべるのはこの旅行会社の経営者でもあるジュンさんと私の2人きりである。もう、ジュンさんはやたらと仕切る。話の流れも私にはお構いなし、挙句にトークの3分の1が中国語である。中国人リスナーからかかってきた電話に中国語で応じるためで、もう止まらない。きっと近日中に局へ広報局から注意勧告が来ることであろう。
明日からギンジェーと呼ばれる中国系の人たちの精進料理を食べる期間にあたり、この一週間は肉や卵を食べず、植物性のものだけを食べるのである。私はもともと肉類よりも菜食主義系なので、精進料理は大好きだが、しかしアルコールもだめだと言うので、それは辛い。しかも、菜食週間は明日からなのだが、本日中に身体の中を綺麗にしなくてはならないとかで、今晩から酒を飲んではいけないそうだ。
朝食
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ご飯と白菜の味噌煮込み。 |
昼食
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小屋がけ食堂にてパッタイ(タイ式焼きそば)。 |
夕食
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ご飯と鶏肉とザボンのサラダ、韓国風干し魚のあぶりモノ。 |