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10月25日 木曜日

ピマイホテルは朝食付きだが、ホテルのレストランと言うのはホテルと同じ建物の中に壁1枚で仕切られた簡易食堂の事で、言われなければホテルの食堂とは気が付かないだろう。ついている朝食と言うのが、アメリカンブレックファストとタイで呼ばれるもので、目玉焼きにハムかソーセージ、小さく薄っぺらなトースト2枚、コーヒーと小さなコップに注がれた甘いオレンジジュース。が、ホテル代込みの朝食は二人分しか供されず、アメリカンブレックファストはお母さんと優泰に食べてもらう。私は別注文でお粥を作ってもらう。

朝食後、荷造りをしてピマイを出発。時刻は9時少し前。今日の行程はタイ北部の入り口ピサヌロークまでだ。今まではハイウェイを中心に走ってきたが、今日は一般道路を山越えで走ることになる。私が持っている10年以上前のタイ全国道路地図にも、最近のガイドブックに刷り込まれている簡易地図にも今日走るルートは載っていない。たぶんまだ開通したばかりの道路なのだろう。この道路の存在を知ったのは、ホテル階段の壁に張られたタイ全土の地図で、チャイヤプンからナコンサワンまでの道路が載っていた。これは便利なところに出来たものだ。この道がなければ、昨日来たハイウェイをサラブリまで戻るか、ハイウェイを更に150キロ以上北上してコンケンに出るかしかなかった。

ピマイからブアヤイを抜け、チャイヤプンの街に入る。チャイヤプンはチャイヤプン県の県庁所在地だが、県名そのものも今回の旅行で初めて知ったような土地である。県庁所在地にしては小さな街であった。この街でガソリンを補給し、エンジンオイルも1リットル買う。1リットルで100バーツであった。そして知ったのだが、4リットルだと395バーツで、これはスタンドでオイル交換する値段と同じである。つまりタイのスタンドではオイルを買うと交換料はタダと言う事らしい。

チャイヤプンの街の中でちょっと道に迷いかけたが、すぐにナコンサワンへの通りに出る。ナコンサワンまでの距離は250キロほどと示されている。途中で交差するはずのピサヌローク方面への国道11号線までは200キロほどだろうか、この道路の周辺には地図上に町も村も記されていない。人跡未踏の森林の中の真新しい道路かと思っていた。しかし、実際に走ってみると、道路はそれほど新しくもなく、結構道も荒れているし、そして沿道の開発も進んでいて、耕地が広がっている。果樹園なども多い。それでも食事をするのに適当な食堂となるとお母さんが「うん」と言うようなところがない。時刻は12時を過ぎてしまった。途中に峠があり、峠を越えたところにドライブイン風の食堂があったが、掘建て小屋の集合体でパス。プッチャブン県に入って、もうじき久しぶりの国道との交差点かと思っていたところで、巨大な楼門のあるリゾート施設風の施設があらわれた。門の前には衛兵のような警備員が守っている。警備員に食事をする施設はあるかと聞いたところ、なにやら奥で相談して、「ある、この先を左折するように」と教えてくれた。
このリゾート風施設は大規模分譲別荘であった。確かに自然に恵まれたところではあるが、何の変哲もない自然であり、風光明媚というわけではない。そこで池などを配し、白鳥や黒鳥などを泳がせるといった演出をしていた。食事をしようと池に面した食堂の席につき、ありきたりのメニューを注文して待つと、マネージャー風が別荘についての説明をしてくれた。タランワー(約4平米)あたり600バーツからだと、まるで原野商法的なことを言い出す。モデルハウス風の別荘を建てるとして70万バーツほどだと言う。しかし、こんなペッチャブーン県のようなところにわざわざ別荘を持とうと言う人とはどんな人なのだろうか、、、。

昼食を食べた後もひたすら走り、スアンブアの町で国道11号線に入り北上する。やはり一級国道だけあり、定期バスや大型トラックの走行が多い。片側一車線のハイウェイであるが、20キロおきくらいに集落があり、ガソリンスタンドなどもあって、走っていて安心感がある。畑仕事を終えた親子だろうか、耕運機のようなものに引かれた車で道を走っている。日に焼けた家族はとても幸せそうな顔をしていた。家族が一緒にいるというだけで、これほど幸せそうな顔ができるものなのだろうか、、。いや、本来はこれこそが幸せなのかもしれない。我々が日々の生活の中で不感症になっているだけかもしれない。

ピサヌロークの街には午後5時頃に到着。鉄道駅裏側にあるゴールデングランドホテルという派手な名前のホテルに入る。一泊750バーツのところを、受付の女の子に交渉して朝食付きにしてもらう。ホテルは8階建てで、ビジネスホテル風。設備は合理的に出来ているが、豪華さには欠けると言った感じ。しかし、清潔感はあったのでお母さんのお気には召したようだ。7階の部屋からは真下に踏切が見え、正面にはイスラム教のモスクが見えた。

荷物を解き、ピサヌローク市内の見物に出る。市内は車で走るとそれほど広くないようだ。ナン川に沿って北から南へ伸びる道は一方通行で、電飾が沢山ついていた。また、川には水上レストランなども浮かんでいた。夕食には川辺の屋台でピサヌローク名物の「空飛ぶ野菜炒め」を食べたいと思っていたが、お母さんに先手を打たれ「食事は清潔なところじゃなきゃ食べられない」と言われてしまった。仕方なく、一旦ビートルをホテルの駐車場に戻し、再び徒歩でナン川を目指す。川を渡ったところにあるちょっとケバケバしい水上レストランに入る。いかにも観光客の皆様お待ちしてましたと言った感じのレストランであった。どのテーブルにつこうかと見まわしていると、白人の若い女性が親しげに声をかけてくる。だれだぁこの女性はぁと、怪訝にその顔を見てびっくり、優泰の学校のレイク先生ではないか!聞けば一昨日からピサヌロークに来て観光をしていると言う。ご主人のレイク教頭も一緒だ。「一緒しないか」と誘われはしたが、ちょっと考えて丁重に辞退させてもらった。
この水上レストランでは、昨日食べて美味しかったアスパラと海老の炒め物を注文し、ピサヌローク焼きそばと言うものを注文したが、ピマイの方が味は上であった。このレストランはやはり川に浮かんだ雰囲気を楽しむところだったようだ。隣のレストランではレストランボートを運行しているようで、船上で西洋人のグループが飲食しながら川面を行き来している。しかし、バンコクなどと異なり、ピサヌロークでは、5分も航行したら街が尽き、真っ暗闇となって、雰囲気も何もなくなるのではないかと要らぬ心配をしてしまった。
帰り道、橋の上で沢山の人達が釣り糸をたれていた。50センチくらいある鯰が釣り上げられていた。川面まで10メートルくらいはありそうだったが、よくも大きな鯰を釣り上げられるものだ。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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