6月25日 火曜日 天気は晴れ
優泰の勉強は、計画表通りにはいかないものだと言う事がよくわかった。小学一年生に対してやる気云々するのは論外かもしれないが、とにかくチンタラやっている。AからCで始まる英単語を20個くらいずつを3回ずつ書かせるが、書き方に心がこもっていなくて、綴りも滅茶苦茶、文字の形もグチャグチャ。そしてこの作業だけで1日かかってしまったのである。午前中から夕方まで、たった180個の簡単な英単語をノートに書き写すだけの作業だと言うのに、、。6時間以上か買ったわけだから、単語一個書くのに2分以上かかった計算になる。単語ひとつが平均アルファベット4文字で構成されているとして、アルファベットひとつが30秒!これじゃ学校の先生も頭に来て、私たちを学校に呼びつけたくなるのも納得できる。本人だって長時間テーブルに向かって座っているのも辛かろうに、、。
朝一番に、生命保険会社へ電話を入れる。保険請求手続き(手術給付金)の書類を送ってから3週間たつが、保険会社からは書類上に問題があるとか、無いとかと言った連絡が何も入ってきていないので、確認の意味で電話をした。そしたらば、お母さんのパスポートに押されている日本とタイの出入国スタンプをコピーにとって送るようにと言ってきた。その書類が不備になっていると言うのだが、そんな事なら事前に言ってくれれば、先の書類と一緒に郵送したのに、、。それに、何かあれば、メールででも知らせて欲しいとお願いしていたのに、、。それにメールが使えない時のことを考えて、返信用の封筒まで用意して送ったのに、、、。
しばらくして、東京の友人からメールが入る。私の東京の自宅の管理をお願いしているのだが、彼によると保険会社から、「パスポートのコピーを送れ」と連絡があったと言う。なんだこりゃ、、。こっちはチェンマイにいるのに東京の留守宅にメッセージを入れておくなんて、、。ちょっと対応がお粗末。彼がいなかったら、いったいどのような処理になっていたことやら、、。
昼過ぎに東京から電話が入る。以前の会社で一緒だったフィリピン人のDからであった。彼も会社が破産してからと言うもの、色々と困ってはいるようだが、持ち前のバイタリティーで次々に危なっかしいビジネスを考え出しているようだ。どれも危なっかしくて、誘われても一緒にやる気になれないが、アドバイスくらいはしてやろうと思い、話しこんだらこれが1時間を越える長電話となった。今度は日本から中古車をフィリピンへ輸出したいのだと言う。なんか、10年以上昔のビジネスモデルのような気もするのだが、彼は本気らしい。三菱パジェロがフィリピンで人気らしい。日本なら中古のバジェロは安いが、フィリピンだとまだ高い。しかし、問題は日本車は右ハンドルなのにフィリピンは左ハンドル。フィリピンで売るには、改造が必要だと言う。私が考えるには改造費用を考えたら、日本から輸入しないで北米から左ハンドル車を輸入したら良さそうだと思うのだが、北米だと遠すぎると言う。また、ハンドル位置の変更などは大変な改造であり、簡単なパーツの付け替えなんかでは解決できないと考える。パジェロなら韓国でも同じモデルのものを現代自動車が生産販売しているし、韓国から中古を買い付ければよさそうなものだが、フィリピンでは韓国製の車では人気がなくて売れないという。まぁその辺の事情はタイでも同じだから理解できるが、、。
お母さんをお菓子教室へ迎えに行き、その帰り道で鉄道駅に立ち寄る。ビザ詣でのマレーシア国境行きの汽車の切符を買うためである。今回の目的地はコタバル。コタバルは先の大戦で日本軍がハワイ・オアフ島と共にマレー半島での奇襲攻撃をした場所でもある。このコタバル近くにタイとの国境があり、国境の町までバンコクから汽車が通っている。国境の町の名前はスンガイコロク。バンコクから最も遠い町である。バンコクまではいつものように夜行バスで出るとして、バンコクからは汽車旅とする。7月9日の午後2時過ぎの特急寝台車を予約する。817バーツ。たぶんこのくらいの距離だと夜行バスより寝台車が安いだろう。そして到着は翌10日の午前11時20分。定刻に到着してくれれば、当日中にタイ領事館に駈け込みビザ申請ができそうだ。
夕方にも東京からファックスが入る。私が旅行会社勤務時代に本社の部長やシンガポールの現地法人社長まで勤めたSさんからで、7月はじめにお知り合い方がチェンマイに来られるので、ヨロシクとの内容であった。ちょうど、その頃はニューヨークから義姉や甥子たちが大挙してチェンマイに遊びに来ている時期とぶつかるので、大したことはできないが、それでも精一杯の事をさせてもらおうと思う。Sさんのファックスにあった所属会社名は、私が勤めていた会社とは違っていた。退職されて別会社に移られたのだろうか?
ワールドカップ、韓国対ドイツの準決勝。チェンマイ在住の韓国人たちはセントラルエアポートプラザに集まって、応援するのだと言う。韓国人であるお母さんのところへも朝から何本かの誘いの電話があったので、とりあえず私たちも夕食がてら会場へ出かけてみる。
エアポートプラザ4階のクーポン食堂のあるホールへ巨大な投影式のテレビを持ちこんで、既に大応援団が組織され、拡声器まで使って韓国語でガンガン応援をしている。私はほとんどたじろいで近づく事すらできず、お母さんと優泰の二人を応援団の中に潜り込ませた。100人以上いる韓国人応援団は韓国チームと同じ赤いシャツを着てきていた。テレビに映し出されるソウルスタジアムも観客席は真っ赤であった。これを見て私は不謹慎ながら、市場に並んだレイシを想像した。色と言い山盛りに積み上げた具合と言い、そっくりであったからだ。
結局、後半戦にドイツに先制点を入れられてから、応援の声に元気が無くなり始め、そして0対1で韓国は負けた。チェンマイの応援団たちはまだ太鼓を鳴らし騒いでいるが、まぁ負けて良かったのかもしれない。決勝戦に進出させて、韓国チームを日本の観衆がどう応援するかには興味があったものの、聞くところによると、決勝リーグで早々に敗退した日本に対して韓国は準決勝まで進出した事に対して、日本人の中には嫉妬心も芽生え始めていると聞く、へんな波風を立てて、せっかくの友好ムードをつぶす事はないだろう。これで良かったのである。もっとも、私はこうしたお膳立ての上にのっかった日韓友好なんてマヤカシだと思っているから、その辺が暴露されても「そんなもんだろう」と納得してしまうかもしれないが、、。もともと、中国文化の影響下にある日本も韓国も、外交感覚の基本は「遠交近攻」のはずである。サッカーで共感できても、歴史感覚など共有できるとは思えない。でも、それでいいのだと思う。相手は自分たちとは異なった感覚の持ち主たちであると言う事を認識する事が、国際社会への第一歩だと思う。日本人はとかく議論下手である。頑固なくらい意見を主張できる人は少なく、相手と意見が合わないと、意見を戦わせる事もしないで、変にヘツラッてみたり、逃げ出したりする人が多いように思う。
お母さんからの報告によると、韓国応援団では韓国の応援をしてくれるタイ人に対してクーポン食堂で使える食券と赤いリボンを配り、最後は福引抽選会までしたそうである。韓国もなかなかやるものである。外側から見ていたのでは「まったく韓国人たちは我が物顔で騒ぎまわって、タイ人社会から浮きあがるぞ」なんて心配してしまったが、やるべきことはやっていたようだ。それでもしかし、ドイツがゴールを決めたり、よいプレーをするとタイ人の間からは大喝采が起こったりするので、やはりタイ人は面白い。
朝食
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パートンコーを買って来て食べる。 |
昼食
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アパート前でフライドチキンともち米を買う。私はチキンの代わりにナムプリックを食べる。 |
夕食
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セントラルプラザのクーポン食堂で、私はチキンソテー、お母さんは韓国牛焼肉、優泰は韓国式海苔巻を食べる。 |