10月24日 水曜日
しとしと雨が降っている。タイ中部のシャム湾側の天候はこの時期こうした天気が続くのだろうか?
昨夜は食べる量が少なかったので、久しぶりに空腹感を味わう。この旅行中はとにかく食べ過ぎだ。一日三食たっぷりと食べている。特にこのパタヤの回転展望レストランのバイキングで連日食事をしたのが効いている。今朝の朝食はお粥とパン、焼きそばに野菜や肉の炒め物という支離滅裂な取り合わせ。私はこの朝食会場を学食かデパート食堂むのように感じたが、お母さんは市場の中のように感じていると言う。
朝食を食べて、9時少し前にホテルを出発。ホテルでのチャージは昨夜使ったインターネット接続のための電話代だけの10バーツ。タイのISP、Loxinfoは月額基本料がかかり若干割高だが、タイ全国にアクセスポイントがあり、こうして旅行中に利用するには便利だ。
今日はタイ東北部のコラットにあるピマイ遺跡まで行く。雨が降ったり止んだりのはっきりしない天気なので田舎道を走って行くよりもちょっと遠回りだがハイウェイで行く。スクンビットハイウェイでチュンブリまで来たところで、バンコク方面への高速道路の入り口が出てきた。こちらへ来る時は通らなかった道だ。バンコク方面へ向かう定期バスもこの高速に入っていくので、私もそれに従い高速に乗る。やはり来るときの道と違い高架道路になっておらず、大地に広々と伸びる道は路肩も広く走っていて安定感がある。スピードも出せる。制限速度も120キロだ。途中何度か料金所があり、そこを抜けるたびに30バーツずつ料金を取られた。それでもやはり早いのは便利だ。走り出して2時間かからず11時前にはバンコクの外周道路に入り、3時間後にはサラブリの手前まで来る事が出来た。ここでPTTのガソリンスタンドに入り、ガソリンを補給。既に今日の走行距離は200キロを越えた。スタンド裏の食堂でクオッティオうどんの昼食を食べる。
午後もひたすらハイウェイを走る。サラブリから東北タイへ伸びる国道2号線に入るが、道は大型トラックが多いものの走りやすく、時速90キロほどで順調に走れる。しかし、このハイウェイも走行車線側は穴だらけである。ゲンコイを過ぎると登坂路が多くなり、ダムか湖のようなところが車窓左側にいくつか見えてきた。そしてハイウェイ沿いに広い駐車場を備えた休憩施設もある。コラット大地に入ったあたりで、雲行きがまた怪しくなり、スコールが断続的に降り出した。降れば前方100メートルも確認できないほどの降りだし、止めば青空が広がる。パタヤのしとしと雨とはまた降り方が違う。3時前にはコラット郊外に入り、市街を迂回するバイパスで北方向へ向かう。このままあと5時間も走ればラオス国境のメコン川河畔のノンカイまで行ける。景色は広い農地が広がって、所々にニッパヤシが立っている。如何にものどかなタイの農村風景である。
ピマイには3時半に到着。ピマイにはたった1軒の設備の整ったホテルと紹介されているピマイホテルにチェックインする。設備が整ったとは、何を基準にしたかわからないが、建物はそこらの旅社(シナ宿)と大差ない。フロント回りをちょっときれいにした程度か、エレベーターもなく、そのくせ天井はやたらと高く、私たちの部屋かある4階まで上ると息が切れるほどだ。一応エアコンと小さなテレビがあり、温水のシャワーもあるが、部屋はそれほど広くない。まぁ朝食込みで490バーツにしてもらったから、文句は言えない。お母さんは「はやくナコンピンコンドへ帰りたいね」と言い出す。
部屋へ荷物を降ろすとそのままピマイの遺跡見学に出る。遺跡の入場料はタイ人10バーツ、外国人40バーツとなっている。今回も私たちはタイ人料金としてくれた。遺跡そのものは10年以上前に来たときと比べるとかなり修復が進み、欠けてハッキリしなかったりしたレリーフ類もしっかりしているし、崩れた石材もきちんと積みなおしてある。建物はスコタイなどで見てきたレンガと異なり赤い石組みである。何故か本堂に当たる建物の石組みだけが白っぽい。お母さんはこの遺跡が気に入ったらしい。夕方で涼しい事が気に入った本当の理由ではないかと想像できるのだが、本人が言うには「タイの遺跡は尖塔や柱が天に高く伸びているのに、ここのは横に広がりがあるからだ」と言う。そう言えば韓国の寺は広い回廊を中心として平面的に広がっている。日本の寺は五重の塔のように高く伸びていたような気がする。
私はレリーフ類を中心に眺めた。レリーフはどうやらラーマ物語をあらわしているように見える。タイのアンコールワットとして知られるピマイ遺跡だが、アンコールのレリーフを確認していないが、当時の人々の生活が彫られていたと聞いたか読んだ気がするが、ここのレリーフでは当時の人々の生活をうかがい知る事が出来なかった。その代わり、気になったのは「象」の扱いである。タイの寺院や遺跡では土台や屋根などを支える部分によく象がふんばって土台などを支えている彫刻が施されているが、ここのは猿が屋根を支えている。では、象はどこにいるかと探してみても、タイなら至る所に彫られている象がなかなか見つからない。ようやく見つけたのは建物入り口近くに彫られたものだが、その象は鬼のような顔をしたレリーフの横で、巨人にわしづかみにされ、逆さまになっている。タイでのように聖獣的な扱いとは程遠い。当時のクメールの仏教はヒンドゥーの影響も強かったはずだが、ヒンドゥーでも象は神様にもなっているほどの聖獣だった気がする。ちょっとクメールでの象の扱いについて後日調べてみたいと思った。遺跡を見学した後、サイガームへ行ってみる。サイガームには巨大なバニヤンの木があり。ここのバニヤンの木の凄さは、一本の木から伸びた気根が幹となり広がって周囲が何百メートルもの広さに広がっている事だ。オリジナルの樹齢は350年以上と書かれていた。このバニアンの周囲は池になっており、吊り橋などもかかっている。時刻は5時半になり周囲は少し薄暗くなってきた事もあり、バニアンの複雑に入り組んだ幹や枝、気根などが薄気味悪く見えてきた。お母さんはそれを怖がった。
夕食にはバイトゥーイと言う名の食堂に入る。遺跡を意識した石積みの建物で、雰囲気は良いのだが、蚊の攻撃がひどい。蚊取り線香をもらったが、足ばかりを何箇所もさされた。料理はきれいに盛り付けられてきた。アカパラガスと海老の炒め物、鶏とカシューナッツの炒め物、鶏肉のココナツミルク煮込みレモングラス風味、チキンサンドウィッチ、ピマイ式焼きそば。いずれも味は良かったが、アスパラガスと海老の炒め物は特に美味しかった。ピマイ式焼きそばもあっさりしていて良かった。