11月23 金曜日

優泰は学校へこのところ弁当を持っていくため、毎朝ご飯を炊く。そのため毎日残ったご飯が冷や飯として出てしまう。そのまま捨てるにはもったいないし、冷蔵庫にストックしててもしょうがないので、今朝はその冷や飯を使って白粥にすることにする。そして白粥だけでは寂しいのでお母さんにキャベツ炒めを作ってもらい、私は自転車でパートンコーを買いに行く。

優泰を学校に送り届けてから、YMCAのタイ語の単語練習をする。覚えなくてはならない単語が山のようにある。単語カードも書きこむだけで、どんどん増えてしまう。今日はお母さんがオフクロさんを案内して回ると言うの。ワロロット市場からスタートして、ピン川沿いの洒落た店などを巡ってくるというので、YMCAへ行く前にお母さんとオフクロさんをワロロット市場まで送る。

YMCAのタイ語クラスは最初10人ほどもいたのに、今日はその半分しか出席していない。授業は間延びしているかのようにのどかなのだが、こんな状態でタイ語が身につくのだろうか、、。他所の日本人の奥さんたちグループは1年ほどでタイ語の新聞も読めるようになったと言う。韓国人の奥さんなどは1年でタイの小学校卒業レベルタイ語能力検定にパスしていると言う。私は時間こそたっぷりあるが、タイ語を早く身につけたいと思っているので、ちょっと焦りを感じる。

昼食にはタイ語のクラスメートとYMCA内の食堂で食事をする。こうして日本人と食事をするのは実に久しぶりな気がする。ひょっとしてチェンマイでは初めてではないだろうか、、。この日記を読み返せばきっとそこのところ判明すると思うのだが、、しかし、このダラダラ日記を読み返す気力はない。

昼食後、優泰の学校で使うという天使の頭にのっかるリングを作らなくてはならないため、その材料を買いに行く。子供がつけて動き回るわけだから、やわなものではフニャってダメだろうし、かと言って重くてもダメだ。そこで素材は発泡スチロールを使うことにする。文房具屋へ行き、発泡スチロールの板を買って来て、リング状に削り出しをする。多かがこれしきのものを作るのに膨大な屑が発生し、片づけをして掃除をするのが大変であった。特にホウキで掃くと、屑が舞い上がってしまうのだ。

学校へ優泰を迎えに行き、学校へはお母さんとオフクロさんが先に着ていた。3人をピックアップしてアパートへもどり、一息ついてからドイステープの山へ皆で登ることにした。今日は日中気温が上がったためか少しもやっているようで、麓から山の寺を見上げると霞んで見えた。ビートルで長い坂道をゆっくり登り、ドイステープ寺院までくると、お母さんが「お寺には行かなくても良いんじゃない、どうせお寺しかないし、、」と言う。オイオイ、いったい何を言い出すんだ。ドイステープ寺院まで来て、寺に参拝しないでどうしようというのだ、、「この奥の集落へ行こう、あそこで前に柿を買ったら美味しかったじゃない」と言う。どうやらお目当ては柿であったようだ。優泰は走り始めてすぐに眠り込んでいるし、このまま寺院の先4キロのプーピン離宮近くの集落まで松林の続くなかを進む。

柿はなかった。季節はずれなのだろう。その他山特産の果物と言ったものもなく、お母さんは車の中で優泰と残ると言う。私はオフクロさんを案内して森の先にある小さな展望台へ案内した。しかし、ここからの眺めはドイステープ寺院からの眺めと違い、下界に広がるのは街並みではなく、ひたすら山と深い森で、緑一色である。

薄暗くなった山道を下り、チェンマイ大学前の学生街でお母さんとオフクロさんを下ろす。学生街らしく洒落た店などが多いので覗いて来ると言う。通りの両側は路上駐車でいっぱいである。なんとか駐車スペースを見つけて二人が戻ってくるのを待つ。この頃になってようやく優泰は昼寝から目を覚ます。次ぎにハイウェイとの交差点近くの夜店街へ行く。オフクロさんが優泰におもちゃを買ってやるそうだ。夜店街をグルグルと何度も回り、あれでもない、これでもないと探し回り、結局ラジコンカーを買ってもらうことになった。それも一番高い(500バーツ)車を選んだ。他のも勧めたが「これがカッコイイんだもん」だそうだ。

アパートに戻ると8時になっていた。小屋がけ食堂のおばさんに腕をふるってもらって料理7品を作ってもらう。普段良く食べているものを片っ端から注文したのである。我が家の食卓はタイ料理の皿でいっぱいになった。忍をオフクロさんに飲ませたが「うまくて口に合わない」と言われた。私は辛口だと思っていたが、味覚とは人によってずいぶんと違うものだと思った。

 

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