10月22日 火曜日 天気は晴れ
短い滞在であったが、もうタイへ帰る。来るときのピックアップトラックはあまりに狭苦しくて苦労したし、日中の走行だと、炎天下でサウナ状態になりかねない。短時間のサウナなら我慢できるが、長時間のサウナはご免こうむりたいので、奮発して帰りはハイヤーを雇うことにした。値段もこちらの事務所の人を通じて交渉してもらったので、35ドルと格安であった。
朝8時半にホテルを出発。情報によると、シエムリアップと国境のポイペトを結ぶ国道6号線は、道路状況の悪化により、路線バスが走らなくなっていると言う。一昨日の晩に、シソポンの町で「もうピックアップの荷台なんてまっぴらだ」と言い残して、路線バスに乗り移っていった西洋人グループは無事にシエムリアップまで辿り着けていたのだろうか、、、。シエムリアップからしばらくは一応舗装された道を進む。舗装されていると言っても、路面状態がなんとか車の走行に耐えられると認められるのは、シエムリアップ空港くらいまでで、そこから先はクレーターが道のあちこちに口をあけているといった、砂利道よりも始末の悪い道となった。おまけに何かのお祭りにでも出かけるのだろうか、人を満載したトラックやトラクターなどが何十台と続き、ノロノロと走っている。我がハイヤーはそれらの車をクラクションを鳴らしつづけながら追い抜いていく。が、悪路に加えて、カンボジアの道はタイと異なり右側通行である。にも拘わらず、車は右ハンドルである。そのため運転席から前方が見えにくい。前方を走る車も路面のクレーターを避けるために右に左にと大きく揺れ動く。車線やセンターラインも無い農道以下の国道をそれでもなんとか祭りの行列一行を抜かしきり、前方の視界が開けた。ハイヤーはスピードを上げ、クレーターを避けるために蛇行を繰り返し、時にクレーターにはまってバウンドしながらポイペトの町を目指した。ヨシヨシ、この調子なら昼過ぎには国境を越えられそうだぞ、、。と、一面の田んぼの続く一本道で考えていたらば、突然バイクが正面に迫ってきた。ぉぉぉおおぉぉ、ぶつかるぞ!と思ったとたん、バイクは車の正面を僅かに避けながらも、側面をこするようにぶつかった。大きな音がして、振り向くとバイクの運転者は空を飛び、やがて田んぼの中に落ちていくのが見えた。バイクは回転しながら路上を滑っていく。車内にいた我々はまるで被害は無かったが、サイドミラーは吹き飛び、前輪はパンク、フェンダーも大きく反り返っていた。
ハイヤーの運転手はどのような行動に出たか、、。車をとめて深呼吸をしてから車を降りた。田んぼの中へ飛んでいったバイクの運転手の様子を見に駆け寄るかと思えば、さにあらず。車から降りて取った行動は、吹き飛んだサイドミラーを拾い上げ、粉々になったミラーを組み上げようとし、そしてやがて腕組みをして、溜息をついた。そのうちに人だかりができ、田んぼに落ちたバイクの運転者は肩を担がれて路上に引き上げられ、寝かされた。カンボジアではとても珍しいことなのだが、なんとヘルメットを着用していたので、命に別状は無い様である。良かった良かった。警官も来て実況検分をはじめた。こりゃ、ひょっとして面倒なことになるのだろうか?事故の原因は、車もバイクもそれぞれ路面のクレーターを避けようと中央に寄ったために、発生した様なのだが、、、。
タイでも、人命より車が高いお国柄だが、ここカンボジアでは人命より車のサイドミラーの方が高い国なのだろうか?バイクの車体も被害甚大であった。フレームはしゃくれ、エンジンには亀裂が入り、ミッションは割れてしまっていた。やがて、パンクしたタイヤを交換し、助手席に警察官が乗り込んで、警察署まで同道することとなった。運転手さんは、「もうポイペトまで送れないから、別の車を呼ぶよ」と言って電話をかけに行った。代わりの車が到着したのは、11時近く。知らせが入ったのかシエムリアップの事務所の人もかけつけてくれた。
乗り換えた車は、エアコンの効きも良く、比較的新しい車であった。しかし、道が悪いので、車が良くても乗り心地はトラック並である。否むしろ、ジェットコースター並と言うべきか、、。クレーターだらけの舗装道路もやがて尽き、ただでこぼこの大地そのものとった道になった。両脇は相変わらず田んぼであるのだが、途中田んぼの畦が決壊して、道が川になっている個所が出てきた。そうしたところには、周辺の村人が浅瀬を選んで誘導してくれる。きっとこのあたりの村人にとっては、この案内料は貴重な現金収入なのだろう。畦くらいだから、簡単に補修できそうなものだが、どうも補修しようとしている感じは無い。むしろ人為的に決壊させている様にも見えるのだが、、。お母さんはこのひどい状態に大喜びである。盛んに「ちゃんと写真に撮っておいてよ」なんて事を言っている。
が、やがて決壊現場も、「ちょっと決壊させすぎてしまいました」と言った個所に差し掛かった。川になっているどころではなく、道そのものが、泥田んぼと化し、泥は底無し沼となっている。そこへはまり込んだトラックは身動きもつかず、ワイヤーで引き上げられている始末。交通料の少ない道ではあるが、交通が遮断されて、渋滞している。一台ずつ引っ張ったり押したりしながら抜けるのだから、時間もかかる。それもちゃんと順番を守って一台ずつ進めば良いものを、我先に進むので、泥の中で向かい合って、そのまま泥に沈み込んでいく車が続出、、。ボロ車が多い中で、ピカピカのトヨタの四輪駆動車ランドクルーザーが、「まぁ見てろよ」と言った感じで、泥の中に突入したが、脱出できず、やはりワイヤーで引き上げられる始末であった。我々も少しでも軽くするためにハイヤーから降りて泥田を歩いて越える様に言われ、裸足になって泥田を越えた。
シソポンの町を過ぎたのは、午後2時であった。色々あったが、まぁ何とかここまでこれた。あとは20キロほどで国境だし、もう安心だと思った瞬間、平原の真っ只中でエンジンが止まった。ガス欠だと言う。あんれまぁと言った感じだが、運転手は走ってきたバイクを止めてバイクの後部シートにまたがってガソリンを買いに行った。夜中でなくて良かった。それに国境も近く、交通量も多いので、取り残されても孤独感も不安感も無かった。そして、清涼飲料のビンにガソリンを詰めて運転手は帰ってきた。
午後、3時に国境に到着。車から降りたところで、再び目つきの悪いカンボジア人に取り囲まれる。「荷物を運ばせろ」「日傘を差しかけてやる」と大変な騒ぎだ。優泰は昼寝から覚めたばかりで、まだ寝ぼけている。足早に歩くこともできず、また私がほとんどの荷物を担がなくてはならないし、国境の手続きをするためにパスポートなど大事な書類も用意しなくてはならない。押し売りのような連中に囲まれ、四方から伸びてくる手をかわしながら、歩くのはまったく大変であった。それに、やめてくれれば良いのに、お母さんは物乞いの女の子にお菓子なんかを配ったりするから、ますます私は立ち往生してしまった。しかし、カンボジア入国と異なり、ビザなどでボラれると言った事は無く、出入国手続きはスムースであった。
3時半過ぎに、ようやくタイ領内の国境市場まで到着。ここからバスターミナルまでオート3輪タクシーに乗る。もう取り囲まれることも無く、安心だ。身の回りの持ち物をチェックすると、肩掛けカバンのチャックが開けられている。そして、そこに入れていた携帯電話が無くなっていた。これは大きな痛手である。金銭的にも痛いが、色々な人の電話番号も携帯電話に記憶させていたので、これが無くなると通信手段が途絶えることになる。ラジオ関係連絡はすべて携帯電話だったので、こりゃ面倒なことになった。
バンコクへのバスは4時半発であった。帰りのバスも満席で通路にまで人が立つありさまであったが、私の隣の席に座った女性は、タイ女性に時々見かける肥満体なのである。それもものすごくて、私が座るべき席の半分近くまでお尻がはみ出してきている。私は通路寄りの席であったが、正面を向いて座ることができず、通路側を向いて座る羽目になった。さらに、通路に立つ人も疲れるのだろう、座席の肘掛に持たれて来るので、私の目の前にはそうした人の尻が来ることになった。バンコク市内で渋滞し、バンコクのバスターミナル到着は9時になった。そして、ホテルにチェックインしたのは夜10時過ぎとなった。
朝食
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ホテルのレストランでバイキングの朝食。 |
昼食
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食事のできる環境になかった。 |
夕食
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バンコク・ラマ4世通り沿いの簡易食堂兼カラオケ屋で五目野菜炒めライス。 |