10月22日 月曜日
ホテルのバイキング式朝食会場には中国人のグループが入っていた。どうやら話している中国語から香港や台湾ではなく中国本土から観光客らしいと判断された。そして、あまり行儀が良いとは言えない料理の取り方と、料理を取りながらタバコを吹かしていると言った無作法をしている。タイの従業員達も、こうした風景は見慣れていて諦めているのか、喫煙を注意するでもなく、そっと灰皿を手渡したりしている。料理そのものは豪華ではなく、ありきたりの最低限だが、中国人客が多いからか、お粥などはタイ式ではなく中国式のお粥であった。まぁ宿賃も格安にしてもらっているし、料理そのものも決してまずくはないので、別に不満もない。
ホテルを出発したのは9時を少し回ってしまった。お母さんの新しいパスポートを受け取りに韓国大使館へ向かう。宿泊したホテルはバンコクの南西にあり、大使館は北東の外れ、ラチャダピセク通りから奥に入ったところにある。ホテルを出てすぐにガソリンを入れる。スタンドの親父がビートルを見て、「良い車だね、いくらしたんだ」と聞いてくる。チェンマイではよく見かけるビートルだが、バンコクでは珍しい車らしい。チェンマイではめったに見かけないニュービートルなら、バンコクのそこここに走っているのだが。ひょっとしたら、バンコクでは30年以上も昔の車は登録が出来ないのかもしれない。
サートン通りで長い信号待ちに引っかかったが、たいした渋滞に巻き込まれる事もなく、10時には韓国大使館に到着できた。さて、新しいパスポートは、、と受け取ってみると確かにパスポートは出来ているのだが、お母さんのように日本の永住権を持つ在外韓国人用のパスポートではなく、一般の韓国人用のパスポートが出来ていた。今後の事もあるので、窓口でお母さんは粘って、再度パスポートを作り直してもらう事となった。しかし、また来月にパスポートを取りに来なくてはならない。まぁ今度は代理人でも良いと言っているので、私が来月日本に行く時にでも、受け取りにくる事とする。
大使館を出たのは11時近くなってしまった。最寄の高速道路の乗り口から高速道路に入り、クロントイの港を過ぎてバンナまで進む。一旦高速が途切れ、道なりに進むとまた高速があり、高架道路となっている。風も強いらしく、風の音がビュービューと聞こえる。ハイウェイでは100キロ近くで飛ばしていたが、路肩が狭い高架道路では、途中でトラブルを起こした時に避難する場所が確保できないので、スピードを押さえて時速80キロ以下で走った。高速はチョンブリの手前まで続いていた。タイの物価から見て高速代はちょっと高い気がした。バンコク市内が40バーツで、郊外が55バーツなので100バーツ近い。大衆労働者の一日の賃金に近い。
バンプラを過ぎたあたりでドライブイン風の食堂が目立ち始めてきた。時刻も12時を回り、そろそろ昼食にしても良い時間だ。適当に飛び込んでみた店は、既に何台かの車が止まり、テーブルも7割方埋まっていると言った状況であった。メニューは壁に書かれていたが、値段が書かれていない。昨日の昼のこともあり、ちょっと不安であったが、とりあえず日頃食べているメニューを注文。優泰が食べていたチャーハンは美味しかったようだが、お母さんが注文した鶏肉とバジル炒めは妙に甘いらしく、お母さんは半分も食べられないで、皿を私のほうへ押し出してきた。私はタイ式の焼きそばパッタイを食べていたので、パッタイを半分わけてあげたが、これもお母さんには好評ではなかったようで、結局ほとんど食べられなかったようだ。チェンマイの料理に比べ、バンコクなど中部地域の料理は砂糖を多く入れて甘くする傾向があるようで、それがお母さんの舌に合わなかった原因のようだ。
パタヤのホテル(パタヤパークビーチホテル)には2時近くに到着した。レジャー施設を兼ねたホテルで敷地が広く、私たちが泊まるホテルはタワーのある棟だといわれた。フロントは3階にあり、そこまで車で乗り付けられるが、チェックインが終わったら、駐車場に車を回すように言われる。チェックインは簡単に済んだが、宿泊客中国人が多いようで、フロントの女性もちょっとお疲れ気味か、タイ人らしい人懐こさがなかった。そう感じるのは私の僻みか、それともチェンマイの穏やかな環境から、パタヤのようなケバケバしい観光地に来たせいか、、。
ホテルの部屋からは、海が真正面に広がっていて、真に眺めが良い。ホテル自体が高台の上に立っており、16階の部屋からは沖合いの島もはっきり見える。今は陽が高く、海辺で遊ぶには日光が強すぎそうなので、陽が西に傾くのを待ってビーチに出ようと思ったが、お母さんが「日焼け止めを持ってくるのを忘れた」と言う。お母さんは、日光に弱いので、日焼け止めは必需品だ。そこでちょっと街まで日焼け止めの買出しに出かける。また、ついでに飲み物なども買ってこようと思う。
ビートルに乗ってパタヤの街中へ出る。バンコクもタイらしくない街だが、パタヤもタイらしくない街だ。感じとしてはカリフォルニアに似ているのだろうか、タイ語の看板よりも英語の看板が多いし、半裸の西洋人たちが闊歩し、大型バイクを乱暴に乗りまわり、同じく西洋人の多いチェンマイがしっとりと落ち着いた街であるのに対して、こちらは歓楽街の様相である。市街は一方通行の道がビーチ沿いに伸び、雑踏する道をサウスパタヤからノースパタヤに向けて走った。ノースパタヤが近づいた所で、大きなショッピングコンプレックスがあり、そこへ入ってみる。中には巨大スーパーのビッグCも入っており、映画館などの娯楽施設や専門店街なども備えた、これまたアメリカ西海岸の郊外型ショッピングセンターに良く似ている。ここで日焼け止めやコーラ、ビールなどを買いこみ、帰りは海岸通を回ってホテルに戻った。海岸沿いに椰子の木並木と遊歩道の続く良い道なのだが、海と反対側はやはりケバケバしい歓楽街的な店が並んでいる。
ホテルに戻ると4時過ぎており、太陽の日差しもだいぶ弱まっており、海で泳ぐにはちょうど良くなってきた。日焼け止めを買ったが、お母さんは海に出ないと言い、私と優泰の二人でビーチへ出る。ここのビーチは10メートルも行かないうちに足が着かなくなるほど深くなり、また雨季のためか、マリンスポーツのモーターボートが多いからか、海水の透明度は1メートルほどしかない。かと言って浮遊物が浮いていたり、油膜が張っていたりと言う不快感はない。ときどき小魚が水面をピョンピョンと跳ねる。沖合い50メートルほどのところにブイが浮き、泳ぐ場所が仕切られているので、安心して泳げる。ひとり沖に浮いてプカプカしていたが、岸辺で波で遊んでいる優泰を誘う。もちろん優泰は浮き輪で浮かんでいるだけなので、私が手を引いて沖合いに出る。
海から上がり、ホテルに入る前にシャワーを浴びたいところであったが、海岸にシャワーの設備がなく、仕方なくホテルの淡水プールに飛び込んで身体の塩分を流す。プールから空を見上げるときれいな夕焼けであった。陽が沈むのを見届けて部屋に戻る。
夕食にはホテルの付属設備であるタワー52階の回転レストランでバイキング式の夕食とする。ひとり350バーツと良い金額だが、せっかく来たのだからと奮発する。タイ在住者はこの金額だが、外国人観光客は550バーツだと言う。優泰はちょっと割り引いてもらってに210バーツであった。高速エレベーターで回転レストランに登り、さほど期待していないバイキングであったが、かなりバラエティーのあるメニューであった。シーフードも大きな海老や渡り蟹、イカの焼いたものがあり、前菜もサラダや巻き寿し、刺身、スープがある。メインもタイと西洋風のものと何種類もあった。デザートには色とりどりのケーキ、プディング、ゼリーにアイスクリームと揃っていた。飲み物もジュースやコーヒーなどがあり、すべて料金に込みである。酒のボトルを並べたカウンターもあったが、アルコールを飲んでいる客はなく、私も今晩の夕食時のビールを遠慮した。回転レストランからの夜景もなかなかきれいであり、家族旅行には良い思いでとなった。特に優泰はアイスクリームの食べ放題が気に入ったようで、アイスを四つも食べた。
すっかり満腹して、タワーから降りる段になって、ひと問題発生。このタワーから降りる方法には、エレベーターで降りる、ロープウェイで降りる、ロープに吊るされた籠で降りる、命綱にワイヤーを引っ掛けて降りるとアトラクション性がたっぷりあり、優泰は階上から盛んに地上めがけて飛び降りる人たちを見て、自分もそうしたいと言う。しかし、レストランを出て、タワーを降りる段になって、エレベーター以外の降下装置は7時で終了してしまったという。優泰はとても残念がるが、もともと命綱で飛び降りるなど5歳児にさせてくれるかどうかも怪しいものだし、それにイザ飛び降りる段になって臆病な優泰が尻ごみする事も十分に考えられる。エレベーターしか選択肢がないと言う事で良かったのかもしれない。
夕食時にコーヒーや紅茶などカフェインの強い飲み物を3杯も飲んだために、夜はまるで眠れなくなってしまった。