6月22日 金曜日
8時には荷物をまとめ旅社を出る。荷物は駅の一時預けの預けて、ノボテルホテルへ向かう。
9時から簡単に今日の訪問先についてのブリーフィングを行う。今日の訪問先はタイでは無免許で営業をしている企業らしい。しかし、会社のシステムと共通のシステムを使っているので、技術的にはもっとも提携しやすい企業である。
タクシーに乗ってスリウォン通り近くにある訪問先へ行く。ちょっと奥まったところにあり、特に看板も出ているわけではないので、外から見ただけでは何をしている企業なのか見当もつかない。事務所に入ってもタバコのダンボール箱が山積みしてあったり、まったく不可解な印象である。そこの人たちも白人、黒人、タイ人か中国人か、まったく国籍不明な人たちがいて、これまた不可解な印象を受ける。ミーティングに同席したのはこの企業の副社長でフィリピン人だという。やはりタイ国内では非合法営業をしている様だが、営業の内容については質問を適当にかわして、なかなか実態がつかみにくい。
結局、午前中をこの企業訪問で過ごし、これにてバンコクでの業務は一通り終了。同僚がタイシルクを見たいというのでジムトンプソンの店に案内するがどうやらお目当てのものが無かった様で、すぐにホテルへ戻ることにした。
ホテルへ送り届け、私も漸くお役御免となる。バンコクでガイドをしている友人に電話をかけると、この近くにいるので昼食を一緒にしようと言う。
昼食にはカノムチーンというカレーソースをかけて食べるソーメン状の物をご馳走になる。彼は風邪を引いてこの2日間寝込んでいたそうだ。まだ完全に復調している様ではなかったが、今日はこれから空港へお客さんを迎えに行く事になっていると言う。私も別にやる事も無いし、行くところも無いので、空港まで同道することにする。
空港内のコーヒーコーナーで一杯50バーツもするコーヒーをすすりながら近況を報告しあう。彼は現在のガイドの仕事に相当疲れているようだ。今まで専属だった旅行会社の業績の悪化で仕事が来なくなり、何社か掛け持ちでガイドをしているが、当然専属ではないのであまり良い仕事が回ってこず、忙しいだけでちっともお金にならないとこぼしていた。そればかりか性質の悪いお客が多くて辛抱するだけでヘトヘトになるとも言っていた。
彼のお客は8人で3時過ぎの大阪からの便で到着した。そして到着早々、携帯電話を用意して欲しいと言われ、彼は空港の中をかけまわって携帯電話をお客の為に用意してきた。今回の仕事もきっと彼を相当疲れさせることだろう。
空港の到着ロビーでうろうろしていたら、以前働いていた旅行会社の支店で一緒だった人間が添乗員として到着口から出てくるではないか、近寄って声をかけ、ほんのしばらくの間立ち話をするが、彼もお客を連れた添乗員のため、「連絡しろよ」言い合ってすぐ解れなければならなかった。
空港で一人ぼっちとなり、出発ロビーのベンチに座って、暇つぶしをしていたら今度はタイの大学生らしいグループにタイについてのアンケート協力を依頼されてしまった。内容は観光地としてのタイについてと、タイでの行動や目的、予算などであった。観光旅行をしているわけではないので、私の回答は彼らにとって役立たず、混乱させるだけだろうが、とりあえずアンケートの項目をひとつずつ埋めた。
ちょっと空港でのんびりしすぎたようだ。時刻は6時半になっている。ここから駅まではバスで行けば1時間は最低でもかかる。汽車は7時40分だし、駅のはずれの荷物預かりにカバンを預けたままだ。それなのに駅前でいっぱい引っ掛けてから汽車に乗ろうなどと考えていた。これはのんびりしていた事より、時間配分を間違えていた事になるであろう。中央駅行きの29番バスに乗り駅へ向かう。はじめのうちこそ国道を快調に飛ばしていたが、バンコクの北はずれモチット近くで渋滞に引っかかった。モチットまで行けば高架鉄道があり、渋滞なしに街の中心部まで行けるはずだが、時刻はすでに7時10分を指している、仮に高架鉄道で街の中心部まで行けても、駅まで高架鉄道が通じているわけではなく、とても間に合いそうにない。そこで渋滞するバスから飛び降り、路地の入り口に待機していたバイクタクシーに中央駅まで行くように交渉する。ここから駅までは15キロくらいはあるであろうか、短距離移動中心のバイクタクシーにはちょっと長距離過ぎるのか、誰も行きたがらない。結局兄貴格の一人が80バーツで引きうけてくれて、渋滞で止まっている車をすり抜けながら、駅へ急いでくれた。駅に着いたのは7:35。荷物を受け取取るのに3分かかり、時計を見たらもう7:38と46秒。ホームを迂回していたのではとても間に合わないので、ホームから線路へ飛び降り、止まっている客車のデッキをすり抜け、チェンマイ行きの5番線へ急ぐ。
間に合った。チェンマイ行きのナコンピン号に飛び乗って、時計を見ると7:40丁度であった。飛び乗った車両もちょうど私の切符に指定されている8号車であった。席に着き汗を吹いていたが、どうも走り出す様子が無い。どうしたものかとデッキに出てみるとどうやら客車のドア故障のようである。慌ててきたけれど結局汽車は15分遅れでバンコクを出発した。
出発してすぐに食堂車へ向かう。いつもの食堂車のメンバーが乗り込んでいる。まずビール。今晩は小ビンのシンハビール。このシンハビールにカバンへ忍ばせていた米焼酎を取り出してビールに混ぜて飲む。食堂車へのお酒の持ち込みは厳禁だが、皆顔見知りのため見てみない振りをしてくれる。私も極力他の客にばれないようにして飲む。このスリルがいっそうビールを旨くしてくれる。食事は鶏肉のバジル炒めと鶏のトムヤムスープ。いつもの75バーツ定食のメニューのひとつだ。
食後シャワーを浴びようとシャワー兼用のトイレへ向かったが、トイレに誰か入っている。通路で空くのを待っていたら、食堂車のウエイターが通りかかり、世間話をする。彼は若干のタイ語を話すし、過去に何度も逢っているので暇つぶしの相手としては最適である。話しているうちに、私のはめている時計を欲しがり出した。シチズンのデジタル時計で、タイには無いデザインのものだ。以前にもタイでこの時計を見た人たちから「素敵な時計だねぇ」と言われて来た物だ。定価は一万円以上するらしいが、お母さんがスーパーの景品でもらって来たものである。彼があまりに熱心に時計を眺めまわすものだから、この時計を彼に進呈することにした。きっと彼は食堂車のメンバーやこの汽車に乗務しているみんなに自慢して回る事であろう。そしてスーパーの景品に過ぎなかったこの時計もタイの人々の羨望を集める事ができて幸せであろう。先日時計の電池を交換しておいて良かった。
シャワーを浴びてベッドにもぐり込む。夜中に何度も目を覚ましたが、時計が無いので何時に目を覚ましたのか良くわからない。ただ、明け方近く眼を覚ましたときは、デンチャイという駅に止まっており、駅の時計は午前4時を示していた。