8月22日 水曜日
冷房車ではなく、窓を開けているところがあるのか、それとも開け放たれたドアから侵入して来たのか蚊がいる。足を食われてしまった。今何時だろうかと思って時計を見ると、何だまだ4時ではないか。もう少しベッドにもぐっていようか、、。
6時過ぎになって、外が明るくなってくる。トイレへ行こうと思うのだが、この車両のトイレは水が枯れてしまっていて、用をたすと後々困りそうなので、隣の2等座席車のトイレを使う。この車両に乗っているのは大半が若い白人観光客で、通路には彼らのバッグが散乱し、見苦しい事この上ない。そして、彼らは朝寝坊のようだ。昨夜はずいぶん遅くまで話し声が漏れて来ていたが、今は静まり返っている。私は外の景色を眺める。ナコンサワンも過ぎて、平原部を走っている。所々にまるで海に浮かぶ島のように、かわいらしい、小さく丸い丘がひょこひょこと出現する。窓を開けると機関車からの煤煙や土ぼこりが舞い込んでくる。
8時になって食べ物売りが乗り込んできた。籠の中にはプラスティックトレーに盛られた何種類かの食べ物があり、そのなかから豚挽き肉のバジル炒め載せライス+目玉焼き添えをもらう事にする。値段は20バーツという。100バーツ札を出したらおつりがないという。とりあえず食べ物だけ受け取り、彼がどこかで他のつり銭の要らない客にいくつか売りさばき、つり銭を作ってくるのを待つが、なかなか現れない。そして車窓から猿たちが我が物顔で飛び回っているのが見える。ロッブリーだ。タイ中世のアンコール遺跡の残る駅にさしかかった。食べ物売りはこの駅で降りるようだ。私からの代金の回収は別の飲み物売りのおばさんへ引き継がれた。が、このおばさんもつり銭を持っておらず、後でまた廻ってくると言って、隣の車両へ廻っていった。私はお腹も空いたので、カバンの中や財布の奥を描きまわして、なんとか1バーツと5バーツのコインで20バーツ分を確保した。これで最悪「タダ食い」の非難だけは浴びずに済みそうだ。早速ラップを外し、食べ始める。添えてあるチャチなプラスチック製のスプーンでは、柔らかすぎて、目玉焼きを一口大に切り刻むのに苦労し、ご飯粒をポロポロとこぼしてしまった。やがて飲み物売りのおばさんが通りかかり、小銭だらけの20バーツを支払う。が、おばさんとしてはこれでは気が済まないようで、何か飲み物を買ってほしいという。何があるのか見たところコーラだのサイダーだのばかりだ。朝から甘ったるいものなど飲みたくないと言ったが、おばさんも食い下がり、結局牛乳を買わされる事となった。が、この牛乳の成分中の3パーセントは砂糖が占めており、大変甘ったるい牛乳であった。さらに、ミイラとりがミイラになるではないが、牛乳代を払おうと100バーツ札を再び出したところ、やっぱり未だつり銭が用意できていなかったようだ。おばさんはつり銭集めにまたも隣の車両へ飲み物を売りに出かけた。まったくご苦労な事だ。
汽車はバンコクが近づいてからメッきりスピードを落とし、駅での停車時間が長くなった。ドンムアンから終点まで1時間も要して、それでも定刻の11時少し過ぎにバンコク中央駅に到着した。このところバンコクでは新華南峰旅社のお世話になってきていたが、ここはちょっと汚いので、今回はそのすぐ近くで、近年改装されたと言うステーションホテルに泊まってみることにした。英語の名前は立派だが、漢字で書けば集成旅社であり、内容的には新華南峰旅社と大差はない。値段は1泊250バーツである。改装しただけあって、フロントも少しはホテルらしくなっており、客室もペンキを塗り替えてあって明るい。まぁ新華南峰旅社よりもだいぶ清潔感はあるが、ベッドのシーツは白くなく汚れが付いても目立たない柄物だし、毛布にはカバーがついていない。
水を浴びて早速バンコクでの残務処理をしにスクンビット通りまで出かける。途中銀行に立ち寄りプロバイダー料金の払い込みをしたりしたので、スクンビット通りに着いたのは12時半過ぎになっていた。残務処理は結局夕方6時過ぎまでかかり、終了後担当のエンジニアの人とクオッティオうどんを屋台ですする。クオッティオ・ナムトクという色の濃いスープのうどんである。肉汁のうまみが良く出ているスープであり、彼はこの屋台の常連だそうだ。パクチーというセリに似た香菜は入れない、甘いアイスティーを飲むなど、屋台の親父に何も言わなくても、注文するものを店側はちゃんと把握している様だ。
彼はこのスクンビットの日本人相手の店でコンピューターを扱い始めて、1年以上になるそうで、この1年間はタイから一歩も外へ出ていないそうだ。労働許可書があるので、私たちのように3ヶ月後との国外退去の必要もないそうだが、仕事は勤務時間が長く、朝9時から夜10時までで、休みは週に1日だけという。まったく自分の時間が取れないし、休みの日には個人的な雑務に追われるので、休んだ気になれないという。まったくその通りであろう。私も東京で働いていたちょうど1年前までは、家へは寝るために帰っていただけの生活であったので、そこら辺の感覚は良くわかる。そう言う生活を続けているのは、「人生の浪費」だと思うようになって、タイへやって来たのだ。そして今は自分の時間がたっぷりと取れ、誰からも何も命令される事もなく、何かしなくてはいけないと言った強迫観念に襲われることもなく、気ままに暮らせており、心から幸せだと思っている。また、よその父親の様に働く事もせず、遊んでいるのを許してくれて、しかもタイと言った未知の世界にまで付いて来てくれた家族にも感謝の気持ちでいっぱいである。私は本当に良い家族に恵まれたと思っている。夕方の交通渋滞の中をバスに揺られホテルへ戻ると、もう8時近くになっていた。バンコクでツアーガイドをしている友人に電話をし、9時半にパンパシフィックホテルのロビーで待ち合わせることにする。
約束の時間に落ち合い、近くのマクドナルドに飛び込み、近況報告をしあう。相変わらず彼はいくつかの旅行会社を掛け持ちでガイドをしているようで、ほとんど休養を取っていないようだ。私が仕事を止めて働いていない事を知ると真剣に心配してくれた。しかし、私としては給与水準が日本と比べお話にならないくらい安いタイで従業員として働くにはない事を伝え、むしろ何か一緒にビジネスができないかと話し合った。
彼と別れたのは11時少し過ぎであった。ホテル方面へ行くバスを待ったが、夜遅いためかなかなかバスはやって来ない。結局20分以上待って、途中まで行くバスに飛び乗り、ホテル前にたどり着いたのは12時近くなっていた。なんとなく、このまま部屋に戻って寝るのは惜しい気がしたし、何か飲みたい。中央駅周辺を歩き回って、タイ語でカラオケと表示されている店があったので飛び込む。ワイシャツのまま歩き回っていたので、エアコンの効いた店に入りたかったのだ。店にはオーナー夫妻と泥酔した客がひとり、そしてオーナー夫妻の娘さんだろうか中学生くらいの女の子が奥から出たり入ったりしている。シンハビールを1本注文する。カラオケはジュークボックスのような機械が一台置いてあり、歌いたい人5バーツコインを投入する仕掛けになっている。タイ語の歌しかないし私はもとより歌う気もない。先客も泥酔していてとても歌える雰囲気ではない。しばらくしてこの酔客は眠り込んでしまったのでとても静かな環境で、シンハビールを楽しむことができた。のんびりとビールにアイスボックスから氷を入れながら、まるで水割りウイスキーを飲むようにして飲んでいたら、時刻は午前1時になってしまった。そろそろ店じまいのようだ、65バーツを払って店をでる。氷をたっぷり入れたビールだったので、薄くてなんだか飲み足りない。また、駅前を彷徨し、交差点前でゴザを敷き、酒ビンとソムタム(青いパパイヤの酸味と辛味の強い和え物)を天秤棒に入れて売っていた。ソムタムは基本的に苦手な食べ物だが、酒は飲みたい。酒だけでも良いかと聞けば、OKだという。同じような天秤棒にゴザ敷きの店は、この交差点の周辺に何軒も店開きしている。いずれも二十歳過ぎくらいの若い女性がやっている。
ゴザに座り込み、小さなグラスに赤い色をした酒を注いでもらう。どうやらチェンマイの道端バーでも出している薬用酒のようだ。チェンマイのが最低クラスのバーに例えるとすれば、ここのは最低クラスのスナックであろうか、そしてこの天秤棒の女性はスナックのママと言ったところか、、。彼女はタイ東北部のスリン出身だそうで、未婚だといった。恋人もいないという。「結婚したいと思わないのか?」と野暮な事を聞いたところ、男なんて仕事もしないで遊んでばかりいるし、浮気ばかりするから、、と答える。なんだか肩身の狭くなるような答えだったが、「それから」と言って、彼女は続けた。田舎では畑仕事をしたり、重い荷物を運んだりしていたので、色も黒いし、手もきれいじゃないから、誰も好きになってくれないとこぼした。暗い路上なのでどのくらい色黒かはわからなかったが、手を見ると確かに若い女性の手とは思えない、まるで肉体労働者のような大きくて立派な手であった。グラスに2杯ほど飲み、30バーツを払ってホテルへ引き上げる。時刻は午前2時も近くなっていた。