とても暑い。部屋の中の気温がどのくらい高くなっているのか解らないが、部屋にいてもぐったりとしてしまう。ぐったりすると眠くなってしまう。ベッドに横になると睡魔が来る。しかし、こう暑いと熟睡できるわけでもない。
午後一番にPさんへ特大スーツケースを届ける。Pさんのバンコク引越し荷物のうち衣類などを詰めてもらえば運びやすくなる。Pさんはイミグレーションでビザの延長申請をしたが、今日から数えて10日分の仮延長しか認められなかったそうだ。ただ、10日以内に出国しろと言うものではなく、10日目に再出頭しろと言うものであった。Pさんとしてはラオスあたりへ出国してビザを取り直すつもりらしい。ラオス国境の町ノンカイにあるビザ取りツアーを取り扱っている旅行会社に電話をかけて確認したところ、現在は通常の申請ではダブルエントリービザ(ツーリスト)を発行しなくなっているそうで、どうしてもダブルが必要な人はタイ国内銀行で20万バーツ以上の預金証明が必要だと言う。さらに、即日受領もできなくなって、ラオスの首都ビエンチャンに一泊しなくてはならないそうだ。これで金額が8500バーツとずいぶんと高いことを言う。しかし、観光ビザでどうして預金証明が必要なのかよく解らないが、一年間のノンイミグラントビザを取得しようとすると80万バーツの預金証明を求められるから、一年の四分の一である3ヵ月のツーリストビザが20万バーツと言うのは計算上はあっている。Pさんから大きな英英辞書をもらってしまう。バンコクへの引越しは私のビートルを使うこととして、木曜日の夜にバンコクへ向けて出発する。
夕方に修理に出していた自転車を引き取る。午前中に近所のパンク屋に自転車後輪のタイヤ交換を依頼していたのである。預ける際に同じサイズのタイヤがあるのかどうか心配であったが、仕上がったタイヤを見ると赤いリボン付きだが、今までと比べるとずいぶんとゴツイタイヤがはまっている。パンク屋の主人が言うには、これでもタイではもっとも細いタイヤだそうだ。しかし、見た目がオフロード仕様のタイヤのようで私のママチャリには不似合いである。それと、タイヤのサイズが太く大きくなったために、自転車のスタンドを立てると、タイヤがスタンドと接してしまうことも判明。それでも、磨り減った細いタイヤでパンクを繰り返しながら乗りつづけるよりましであろう。
夜のラジオは新しいスタッフ候補の米国人女性ジェニファーが来ていた。これを機会にこのジェニファーさんに私の担当を引き継いでいき、そろそろ私は引退させていただきたいと思う。もう、日本語での放送の期待はほとんどなくなっている。政府広報局の方針では番組を今年一年間は続けるというが、日本語での放送を許可したり、番組側からも日本語使用の許可申請を出す気配はない。ここの身分証は魅力的だが、週に二晩も犠牲にするほどではない。もう、十分楽しんだつもりである。考えてみれば、私が中学校に入学したばかりの頃、TBSラジオで「夜はともだち」という軽快な番組があって、私はそれを熱心に聞いていた。そしてラジオのDJにあこがれた時期もあった。
朝食 |
ご飯にキャベツと豚肉の炒め物。 |
昼食 |
朝ご飯の残り。 |
夕食 |
餃子、シーフードの卵とじ、モヤシ炒め。 |