私の祈りは天には届かなかったようで、朝から雨である。それも結構な降りである。ホテル内の食堂で朝食を済ませて歯を磨いているとタートル・アイランド・ツアー社から電話が入り、「今日は雨だけどスノーケリングに行くかい?」と聞いてくる。この雨だと、海上は寒いだろうし、海の透明度も落ちるだろう。それに日も差さないから魚の鮮やかさが半減してしまうに違いない。しかし、2泊3日のこの島の滞在。雨が降っていてはホテルのコテージに缶詰になってしまうだけである。「他に相客が無ければ、行かなくてもいいし、相客次第だよ」と答えたところ、相客はあるから、とのことであった。
しかし、タートル・アイランド・ツアー社の船には相客は無く、別の会社の船に混乗させられることとなった。乗客には西洋人観光客の姿は無く、全員がアジア系の観光客である。やはり、アジア系の観光客と言うのは、天気よりもスケジュールを優先させるものなのだろう。この船は一応天幕が張ってあるのだが、雨は容赦なくデッキに腰掛けている我々にも降り注いでくる。沖に出ると波もかぶることになった。以前の船はデッキにビスケットの缶が置かれ、冷たい水もいくらでも飲めたのだが、この船にはそのサービスはなく、バナナを1本あてがわれた。いつもは立ち寄るシャークアイランドはスキップ。もっとも、このシャークアイランド周辺は普段でも海流の流れが速いところなので、ここに立ち寄っても、島の岩礁近くまで泳いでいくことは至難の業だっただろう。このシャークアイランドをすぐるとタオ島の東側に出る。すると波風がいっそう激しくなり、船は滅茶苦茶に揺れはじめた。お母さんは船酔いして操舵室の後ろにあるゴザ式の台でバテてしまった。
スノーケリングポイントに到達して私はさっそく海に飛び込む。あまり期待をしていなかったが、それでも魚の姿はずいぶん見られた。特に岩礁近くは砂を巻き上げることが無いからか、海水の透明度も高い。レインボーカラーの魚や、小さなコバルト色の魚、黄色いチョウチョウ魚などなど、特に黄色きてアジのような形をした魚はやたらと沢山いる。これらが群れをなして岩肌を突付きながら移動している。海面近くではサンマのように細長く、サンマよりも嘴の長い銀色の魚が泳いでいる。今回は足ひれをつけて海に入ったので、魚たちの泳ぎに追いつけて楽しい。
楽しくないのは優泰のことである。海に入ろうとしないのである。一旦海に入ったのだが、波が顔にあたるから怖いと情けないことを言う。前回まではあれほど海の中でも平気で泳いでいたのに、子供と言うのは環境によってずいぶんと退化してしまうようで、まったく残念である。お母さんはお母さんで、船酔いして、「拷問だぁ、いつになったら帰るのぉ」と言う。優泰はちっとも酔っていないのだが、お母さんと一緒になってゴザの上でゴロゴロしている。まったく、なんでこんな連中を連れてきてしまったのかと後悔してしまう。
この船の船頭さんはなかなか人が良く、コーヒーを沸かして我々に振舞ってくれた。もう三十年からこの船に乗っているそうだ。出身は南部タイのナコンシータマラート。コーヒーをご馳走になりながら船内にあったフリーペーパーを見てみると、タオ島の歴史が書かれていた。タオ島の歴史は19世紀末にチュラロンコン大王が上陸したことになっている。が、ほとんど忘れられたような島で、戦前から戦時中にかけて政治犯の流刑地になり、その政治犯も1947年に恩赦を受けて本土に戻って、再び忘れられた無人島になってしまう。その後パンガン島から移民が一家族入って野菜を作ったりココナツを取ったりのシンプルな島であった。それが10年ほど前に外国人旅行者に紹介されてから急激に観光開発が進み、今日のようなリゾートアイランドに変貌したらしい。二十年近く前によく通っていたサムイ島も、今では押しも押されるタイを代表するリゾートになってしまって、もう秘島の面影も無いが、タオ島もあと十年も経てばサムイと同じになってしまうのかもしれない。
3時過ぎにボートは港にもどった。
朝食
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野菜と玉子のパッタイ(タイ式やきそば) |
昼食
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シュノーケリングの船上にて鶏肉チャーハン。 |
夕食
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ホテルから500メートルほどの食堂にて、パッタイ、鶏肉と野菜のフライ、ヤムウンセン、海老と野菜の甘酢炒め。 |