6月20日 水曜日
今朝も5時前に起こされた。バスはバンコク郊外のナバナコン工業団地を走っている。凄い味のコーヒーを飲み、薄い中国茶で口直しをし、終点のインドラリージェントホテル横には6時に着いた。
今日の予定は朝10時に空港内にある会社の訪問なので、まずは今晩から泊まるところへ向かう。前回同様の中央駅前の古くて汚い旅社。
硬くて少し波を打っているベッドに横になり、8時まで少し休もうと思ったが、疲れているのに外からの騒音のひどさのためかちっとも休めず、8時過ぎに空港方面行きのエアコンバスに乗って仕事に出る。
空港のカーゴエージェント第二ビルで滑走路の南はずれと聞いていたのだ、空港脇を走るハイウェイで空港の南端でバスを降りる。空港のガードマンに場所を尋ねるとカーゴはずっとあっちだとと指をさすので、言われたままに空港のだだっ広い敷地を歩く。なるほど貨物ターミナルがあり、建物に番号がふってある。2番の番号のある建物までは約1キロほどもあった。3階と聞いていたので、建物の3階に上り、ネクタイを締め、時刻は10時3分前。準備万端と聞いていた部屋番号をたずね当てると、会社の名前が違う。日本の会社ではあるがライバル会社ではないか、、。あわてて建物の外へ飛び出しキョロキョロしていたら胸に認識票をつけたタイ人がやってきて助けてくれる。彼も場所がわからないようだったが、電話をかけてくれて、通りかかったバイクタクシーを止めて場所を伝えてくれた。結局15分近く遅刻してしまった事になってしまった。
仕事のほうは、結局私が持ち込んだPCがその会社のネットワークに上手く接続できず、十分な説明もできなくて残念であった。しかし、この一流会社であってもネットワークはお寒い限りで、56kのモデムとハブでネットワークを構成しているのであった。
昼に一旦宿へ戻りシャワーを浴びて、中国人街の一膳飯屋で汁かけ飯とペプシコーラの昼食を33バーツで済ませる。そして午後の訪問先へ。
商品の卸し先の店の案内で会社のサービスを利用されている方のお宅へ伺わせてもらった。私たちがチェンマイで住んでいるアパートとは比べ物にならないくらい豪壮なアパートで、部屋の入り口のドアは観音開き、広さも200平米以上はありそうだ。PCの設定状態を確認したり、利用状況をうかがったりして店へもどる。
仕事が終わったのは、結局8時になっていた。中国人街の路上の屋台で茹で鶏のせライスを30バーツで食べ、コンビニエンスストアで缶ビールを一本買い、宿へ歩きながら飲み干す。
昨夜は夜行バスだったし、今日は早く寝ようとシャワーを浴びてベッドに入るが時刻はまだ9時半。外もうるさいし素面ではなかなか寝つけない。ちょっと何か飲もうと外へ出る。宿から2軒目の食堂ではカラオケを置いて、盛大な音量でタイ語の歌が流れてくる。酒はあるかと聞けばビールがあると言うので「ビールは高いから安い酒、米焼酎が飲みたい」といったところ、そんなものあるかと言った顔をする。当然だろうが、無駄遣いはしたくない。食堂の隣に雑貨屋がありそこに米焼酎が売っていたので、食堂の女主人を引っ張り、雑貨屋で米焼酎を仕入れさせ、それを私が100バーツで買って飲むこととした。
この米焼酎はタイ東北部ナコンラチャシマのもので、味はチェンマイの物と大して変わらないような気がした。さっきからビールを飲みながら歌っているタイ人客が私がタイの酒を飲んでいるのを見てやたら喜んでいる。痩身ながら筋肉質で、全身に刺青をしていて見た目は決してやさしそうに見えないが、途中で食堂へ様子を見に来たのであろう彼の奥さんらしきおばさんに、酔っ払っているのをたしなめられ、なんと私の目の前でお尻をぶたれているではないか、これには笑ってしまった。彼は駅の荷役の仕事をしているそうで、出身はナコンラチャシマだという。この米焼酎もナコンラチャシマ産だといったら、彼は感激のあまり私に抱き着いてきた。
結局11時過ぎまで食堂で米焼酎を舐めてから、宿に戻り床についた。