旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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12月19日 水曜日

ドンムアン駅の窓口で切符を払い戻してもらう。取り消し料が半分取られてしまい、戻ってきたのはたったの141バーツだけであった。時刻は12時20分になっていた。ホームにはウボンラチャタニ行きの鈍行列車が入ってきたところであった。どうやら鉄道ダイヤは正常のようだ。タイの汽車だから遅れることもあるだろうし、うまくすれば指定席を買っておいた23:53発のピサヌロク行きの特急に間に合うかもしれないと最後まで希望を捨てずにいた。スチュワーデスたちも協力してくれて、着陸前には早く降りられるようにとビジネスクラスの席に移してくれたし、降りるときも一番で降ろしてくれた。しかし、着陸した時刻は11時半を回っており、おまけにゲートに着けずにバス移動であった。ターンテーブルに荷物が出てきた時は既に日付も変わってしまっていた。

さて、どうするか。切符を払い戻す時に駅員が朝の汽車に変更するかと聞いてきたが、朝の汽車に乗っていたらチェンマイに着くのは夜になってしまう。まだ朝一番のバスに乗ったほうが早そうだ。よし、バスターミナルへ行ってみよう。どうせ終バスは無くて、朝までターミナルで蚊にさされながらの野宿になるだろうが、今できる最善策はこれしかないだろう。駅前には客待ちのタクシーとバイクタクシーがいた。タクシーはバスターミナルまで250バーツと言う。この時間だし妥当な金額だろうが、しかし、もったいない。さっき乗り遅れで切符の取り消し料を取られたばかりだし、無駄遣いはしたくない。バイクタクシーなら130バーツで行くと言う。大きな荷物を抱えてバイクタクシーに乗れるのだろうかと心配したが、大きな荷物は運転手が前に抱え、小さな荷物は後部座席の私が肩からかける事で、なんとか荷物ごとバイクタクシーの乗りこめた。

バスターミナルは各方面行きとも終バスが出た後で、地方からの出稼ぎ労働者風が何人か野宿をしていた。さて、今晩は私も彼らの仲間入りか、、。私はモスグリーンのダブルのスーツを着こんでいるので、せめて地面に敷く段ボールか新聞紙でも欲しいところだ。バイクタクシーの運転手も同乗してくれて、「寝こんだら荷物が危ない」とか心配してくれた。大丈夫、横になるだけで、眠り込んだりなんかはしないさ、それに蚊の攻撃で、眠れるわけが無い。

ターミナルの中で、明日の始発のバスを確認しようとしたら、「ナコンサワンに行かないか」と声をかけられる。ワゴン車で営業しているもぐりの白バスが客引きをしているのであった。「いや、チェンマイへ行きたいんだ、ナコンサワンじゃないよ」と答えると、「ナコンサワンなら4時半にチェンマイ行きがある。俺たちのバスに乗れば4時にはナコンサワンに着ける。200バーツだ。」と言うではないか。なるほど、ここで待つよりも、ワゴン車で朝を待つ方が快適そうだし、ナコンサワンまで出たほうが早くチェンマイへ着けそうだ。「よし、乗ることにするよ」と答えた。

午前1時にワゴン車は出発した。日本なら9人乗りくらいのワゴン車に目いっぱいイスを詰め込んで15人乗りにしてある。そのため座席はとても狭い。そして、当然重量も増しているのだろうから、サスペンションも機能していないようだ。私と同じような境遇の者を満載して深夜のハイウェイをワゴン車は疾走した。ヒドイ乗り心地で、寝る事などできない。これなら野宿していたほうが楽だったかもしれないと、ちょっと後悔もしたが、ハイウェイの所々に立ち寄っては客を降ろしていったので、ナコンサワンに着く頃には多少座席に余裕ができ、ウトウトくらいはできるようになった。

ナコンサワンには4時前に到着。ナコンサワンからは確かに4時半にチェンマイ行きのバスが出ると言う。ここのターミナルへはしばしば大型のデラックスバスが入ってくる。しかし、いずれも夜通し走ってバンコクへ向かう特急バスのようだ。こんなバスがチェンマイ行きにも来てくれるのだろうかと淡い期待をかけたが、ナコンサワンからチェンマイへ行くローカルバスが豪華なはずも無く、4時半に来たのは冷房こそ着いているが、相当にくたびれたバスであった。でも、まぁこれでなんとかチェンマイへ昼頃に着けそうだ。

着いた。12時少し過ぎてチェンマイのアーケード・バスターミナルに到着した。疲れた。ワゴン車の乗り心地もすごかったが、ローカルバスも負けていなかった。ちょうど座席がバスの後輪の真上だった事もあるのだろうが、ナコンサワンからチェンマイまでのデコボコの全てを振動として私の尾底骨から脳天まで確実に届けてくれた。バスから降りた時には失神寸前。アパート行きの乗合トラックも料金交渉をする気にもなれず。40バーツで行ってもらう。

アパートに辿り着くと、優泰がいた。昨夜熱が少しあり、今朝は下痢もしたようなので学校を休ませたそうだ。が、顔色も悪くないし、大したこともなさそうだ。本人もベッドで寝ているわけではなく、リビングでウルトラマンの人形で遊んでいた。そして、私の大荷物を構成する内容の大半が優泰のおもちゃであり、さっそく荷物を解体しては日本から持ちかえったおもちゃを一つ一つ点検していた。お母さんへの土産は、大福もちに味噌と塩のインスタントラーメン、イカの燻製などである。

お母さんに小屋がけ食堂へ昼食を買出しに行ってもらい、パッタイを食べる。お母さんは昼食後に大福もちを2個食べて満足そうであった。食後、銀行へ週末泊まるバンコクのホテル代をバンコク銀行まで振込みに行く。800バーツの送金に対して30バーツの振り込み手数料がかかった。

アパートにもどって、あまりに疲れていたので、ベッドに横になると、6時過ぎまで眠ってしまった。夕食の時刻になった。優泰はカレーが食べたいと言うし、おかあさんは冷やご飯でお粥を作って食べるという。そこで私は小屋がけ食堂に酒のつまみ用に豚挽き肉と唐辛子の団子揚げ(ムーピッキヌー)とご飯だけを買いに行き、優泰にはレトルトカレーを食べさせた。

夜は10時過ぎにベッドへ入る。明日はYMCAで英語のテストがあるが、結局試験勉強どころではなかった。

 

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(2015年5月からのブログ)

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