12月16日 月曜日    天気は晴れ

 今回バンコク入りする目的は三つある。@優泰の韓国ビザの申請。ANECへ私の壊れたパソコンの修理依頼。B東京のSさん(もと勤めていた会社のシンガポール元社長)がバンコクに立ち寄るので、H部長と来年の計画を話し合う。

 チェンマイ発夜10時のバスは、やはり速かった。今朝も6時前にバンコクに着いてしまった。夜討ち朝駆けではないが、早速バンコクの韓国大使館へ向かう。月曜の朝と言うことでか、道はずいぶんと渋滞した。それでも開門時刻の前に到着して、門の外で開門を待つ。門番の警備員に「ビザの申請は午後からだ」と言われるが、「中で交渉するから」と言って、領事部に入る。が、若くて美人の韓国人係員は冷たかった。「ビザの申請は午後だけと英語でも書いてあるのに読めないのですか?」と嫌味のようなことを韓国語で言われる。このところのストレスと長時間の夜行バスに揺られたことで、私の発火点がかなり低くなっていたが、ここは子供のために辛抱と、忍の一字で、丁重に食い下がり、相手が呆れかえる頃、隣のタイ人係員が助け舟を出してくれた。在留韓国人に関する業務としてなら終日窓口業務に当たっているそうで、お母さんは韓国人だし、これは通常の観光ビザ申請ではなく、在留韓国人対象の窓口業務として扱ってくれると言う。申請書を記入して提出すると、再び韓国係員が口をはさむ。書類不備だと言う。タイ国内の預金残高証明と身元保証書がなくてはダメだと言う、、、。6歳の子供にそんなものがあるはずないじゃないかと呆れたが、今度も丁重に説明して、タイ人係員と善後策を話し合う。まぁ子供が単独でのビザを申請すること自体が珍しいことで、単独でビザを申請する理由を一筆することで、書類不備は勘弁してもらった。ところが、発給には申請者本人と領事部とのインタビューが必要で、これを明後日、水曜日の午前中に受けないといけないらしい。再び本人は子供であること、チェンマイと言う遠いところに住んでいること、母親とともに母親の母国を訪問することを説明した。最後には、母親が韓国人であるという韓国語か英語で書かれた証明を、インタビュー開始時刻間でに提出したら、ビザ発給に関して領事へ具申できると言う。書類もFAXでもOKだと言う、、。これでなんとかなりそうだが、そんな証明書なんかあっただろうか、、、。

 次にNECへ行く。距離にして4キロほどだと思うが、渋滞でバスは30分以上かかった。
 NECのタイ人技術者に故障の様子を説明、とにかくハードにあるデータをセーブしてほしい旨訴える。技術者は、私にはさっぱり判らない操作をして、ハードにはまだデータが残っていることを確認してくれた。私のパソコンは日本国内モデルのため、スペアパーツがバンコクにはなく、修理はできないが、データを呼び出してCDに焼いてみようと言ってくれた。1時間ほど待つように言われ、文庫本などを読みながら待ったが、残念ながら、データの呼び出しに失敗したそうで、日本でしか修理は無理と言われてしまった。まったくなんと言う壊れ方をしてくれるのだ、、、、。

 そんなこんなで午後になり、H部長の事務所に回る。ここで夕方まで待って、カンボジアからの帰途にバンコクに立ち寄るSさんと合流する。一緒にタニヤプラザにある中華レストランに入り、普段口にできないような高級食材をふんだんに食べさせてもらった。一例として、鱶鰭とモヤシの卵炒めレタス巻き、イセエビのニンニク蒸し、パカナー(タイ野菜の一種)の牡蠣油炒め、、、。食事は美味しかったが、肝心の話し合いについてはほとんど進展もなかった。本来明日もバンコクに終日いて話し合いを続けようかと思っていたが、どうやら明日までいても、進展が望めそうもないので、私はバンコク滞在計画を切り上げて、もう今晩のバスでチェンマイに帰ることにした。

朝食
バスでもらった菓子パン。
昼食

アソーク近くの大衆食堂で汁なし中華麺(バミーヘン)。

夕食

H部長とSさんとでタニヤの中華レストランに入る。

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