旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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4月13日 土曜日    天気は晴れ 

お母さんが義姉とロイコー通りにあるマッサージ屋に行きたいと言うので、みんなでビートルに乗りこんでロイコー通りを目指す。アパートを出たのが正午であったが、堀の周りは水の掛け合いで大渋滞である。ほとんど前に進まない。30分かかって300メートル進み、堀の内側の旧城内に入る。こちらはまだ車の流れがスムースであった。堀の周りは水掛け合いをするのに水の補給(堀から水を汲む)が容易なので、どうしても水掛け合いが激しくなるようだ。トラックの荷台に大きな水がめを積んで市内を走りまわって、景気よく沿道に水をかけまわっているグループも、水が尽きると惨めである。周りから集中的に水をかけられずぶ濡れになり、それでもトラックの荷台にしがみついている姿は、当に敗残兵である。そんなグループも堀の周辺なら、弾薬(水)補給が容易なのだ。そして、そんな車が集中するためか、あちこちで交通規制が行われている。タペー門周辺は全面的に車の乗り入れが制限されてしまっているようだ。ロイコー通りに入る道も規制されている。私は裏道をかいくぐりながら、指定のマッサージ屋へ送り届けた。アパートから僅か3キロ少々の距離に1時間以上の時間がかかった。

お母さんと義姉がマッサージを受けている間に、優泰とお寺の脇の路上にテントを張って食堂を開いている、いわば道端食堂と言った感じの店に入る。メニューには全て英語の表記がある。このあたりは安いゲストハウスが多くて、外国人観光客が多いからなのだろう。値段は我アパート近くの小屋がけ食堂よりもやや高いくらいだが、だいたい一品が25バーツほどであった。ご飯物のメニューも結構あったが、優泰がラーメンが良いと言うので、ラーメンを注文すると、カオソイがあるのが見えた。優泰にはタイ・ラーメンのバミーを注文するとともに、私はチェンマイ名物のカレーラーメン・カオソイを食べることにした。味は濃厚なココナツミルクがたっぷり入っていたが、辛味を押さえたマイルドな味であった。

お母さんたちのマッサージは2時半頃に終わって、アパートへ戻ることにしたが、交通規制のあるロイコー通りから、ドンチャイ通りに出て、ナイトバザールはずれの交差点まで来てひどい事になった。交差点が車でうまっているのである。それも反対車線にまで割り込んでくる車が後を絶たず二進も三進も身動きが取れない。車のナンバーを見るとバンコクナンバーの車がやたらと多い。地理もよく分からないのに一方通行の多いチェンマイの街中へ水掛見物しに車で乗り入れてくるからこんな事になるのだろう。
アパートの手前でスーパーと市場で買い物をすると言うお母さんと義姉をビートルの中で私と優泰は、その買い物が終わるのを待った。そして、優泰は泣き出した「早くおうちへ帰って、自分も水掛をしたい」と言う。この日が来るのをずっと楽しみに待っていたのに、周りで楽しそうに水掛け合いをしているのを見るだけで、悲しいのだそうだ。時刻は4時半を回り、日がドイステープの山に落ちかかっていた。

夕方の飛行機で、東京からKカップルがチェンマイ入りする。空港へ迎えに出たが、彼らの荷物が大きいので、彼らにはホテルさしまわしのワゴン車に乗ってもらう。また、たまたま、このフライトにはネット上でリンクを張っているB氏も乗り合わせていたので、B氏にも会い、今晩は一緒に夕食を食べる事を約束し、B氏も別のホテルさしまわしのワゴン車に乗ってもらう。

夕食はチャーンプアクホテルの食堂で食べようと思っていたが、時間が遅くなった(8時を過ぎていた)ので食事ができないという。そこでレモンツリーへ行って、食事をする。KカップルにB氏と4人で盛大に食べたつもりだが、大食漢のKはまだ食べたりないと言い、地元の若い連中で賑わう酒場に入ってメコンウイスキーや米焼酎で2次会をやる。お開きになったのは深夜12時近くであった。

朝食

黒米入りのご飯と味噌汁。

昼食

優泰とロイコー通り近くの道端食堂で私はチェンマイ名物のカオソイを食べ、優泰はタイ・ラーメンのバミーを食べる。

夕食

レモンツリーにて北タイ料理のオードブルやナムプリックスープ、鶏肉のニンニク炒め、カシューナッツ炒めに、カキの卵焼き、ハルサメの和え物などをシンハビール4本とともに食べる。4人分の夕食代しめて780バーツ。

 

 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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