9月10日 月曜日
やはり、東京へ行かなくてはならなくなってしまった。出発は明日の晩。インターナショナルスクールの結果が気になるので、優泰を幼稚園へ送った後、ひとりインターナショナルスクールへ直談判に乗りこんでみる。
どうもまだ何も結論らしきものが出ていないようであったので、直接インタービューをしてくれたミセスレイク先生を捕まえ、明日から東京に出張してしまうので、すぐに結論を出してほしいと嘆願する。そしてしばらく待つように言われ、ベンチに腰掛け20分ほど待たされたところ、明日から登校してきてよろしいとのことになった。入学許可が出たと言う事らしい。またまた、出張前になってバタバタの忙しさが始まってしまった。すぐに入学金と前期分の授業料を納めるようにとのこと。金額も大きく日本円で30万円を越える。タイの諸物価や我が家の生活費と比べると破廉恥な金額と言える。まだ他にも英語の補習料などもかかってくるはずだから、これは一気に財政的ピンチに立たされてしまった。そして、登校初日以降の1週間、私はチェンマイを留守にしなければならず、スクールバスもなく、定期路線バスもないこの場所まで、如何にして優泰の送り迎えをするべきか大いに悩んでしまう。
まずは金策からと、銀行へ行って持参の日本円建てトラベラーズチェックをすべてバーツに両替する。折しも日本の株価が一万百円台というとんでもない下落を記録し、為替レートは日本円に不利である。しかし、今日中に払い込めと言われるのだから仕方がない。ほかにもアパートの家賃や、東京への飛行機代などで都合50万円分ほどバーツ貨が必要になってしまった。トラベラーズチェック以外にも手持ちの現金もほとんど両替をすることで、なんとかこの急場をしのげそうだ。しかし、確実に我が家にとっては大きな出費であり、今後の生活設計に大きな影響を与える事になりそうだ。もう、東京の普通預金口座にもそれほど大きなお金もなくなっているはずだし、今後半年毎に来る授業料の支払いが頭痛の種になりそうだ。
金策の次は東京への航空券の手配だ。いつもの旅行代理店へ行き、東京往復のキャセイ航空を予約する。また、タイへ戻ってきたときのバンコク〜チェンマイへのタイ航空国内線も合わせて予約をするが、バンコクでの乗り継ぎ時間が3時間半ほどある。まぁ、キャセイ航空の事だから、「2度あることは3度ある」で大幅に遅れる事もあるだろうし、この位の乗り継ぎ時間を見ておくことが無難なのだろう。切符代の払込は今日中にするようにと依頼される。
こんどは幼稚園へ行って、急遽あしたからインターナショナルスクールへ入る事になり、今日で幼稚園を退園する旨を伝える。残念ながら園長先生のユピンさんは具合が悪くて早退してしまっているとのことだったので、伝言と事務処理だけをお願いする。
再び、インターナショナルスクールへ行って、前期分の授業料などを払い込む。タイのバーツの最高紙幣は千バーツなので、十何万バーツの現金だと、ちょっとした札束になる。帯封付きの札束を経理係りの前に積み上げ、支払いを済ます。
幼稚園へ優泰を迎えに行く時間となり、最後の幼稚園へのお迎えお母さんと二人そろって行くことにする。幼稚園では先ほどの伝言が徹底されたようで、優泰の荷物一式が既にまとめあげられていた。そして先生達にお別れの挨拶をさせたが、優泰照れているの、モジモジしていて、さっぱり要領を得ない。が、幼稚園を出ようと、園庭にさしかかったところで、優泰の友達たちが沢山駆け寄ってきてくれて、見送りをしてくれた。飛び飛びの5ヶ月間だったが、タイの地元の幼稚園に通わせて良かったと思ったし、もう少しこの幼稚園へ通えたら、タイ語やタイの習慣に慣れられただろうとも思えて、ちょっと残念な気もした。
旅行代理店へ切符代の払込をしにぶらぶらと歩いていく。切符代は日本円で約5万円ほどとなった。アパートの家賃や電気代もほほど同額を払い込み、昼に銀行から受け取ったバーツの札束はほとんど綺麗さっぱり消えうせてしまった。
夕食にはコカでタイスキを食べる。ここのラーさんのご主人はトゥクトゥク三輪タクシーの運転手をしているので、明後日からの1週間、アパートからインターナショナルスクールへの送りをお願いする。
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