12月10 月曜日

久しぶりにパートンコーを自転車で買って来て朝食とする。本来なら休みの日ぐらい朝の運動とランニングくらいしておくべきだが、もう3週間もサボったままだ。

朝食後ビートルのオイル交換をしてもらう。エンジンオイルだけでなく、ミッションオイルとステアリングのグリスアップもしてもらう。特にミッションオイルは相当の期間交換されていなかったようで、廃油はミルクコーヒーのような色をしていた。

10時に久しぶりにスワンニーさんのお宅へ伺う。スワニーさんのところへの手土産に煎餅を持って行く。旅行の仕事のほうは相変わらず暇なようであった。チェンマイへの日本人旅行者は旅行会社を介さない個人客は多いのだろうが、以前のような団体客はめっきり減ってしまっているようだ。「日本語を教える仕事でもしないか」などと心配してもらった。帰りがけにマスクメロンや中華まん(叉焼包)、豚の干し肉などをもらってしまった。

12時からYMCAでパーティーがあるが、まだ時間的に20分くらい早いので、お母さんにビートルの運転の仕方を教える。お母さんは完全なペーパードライバーであり、まるで運転ができない。だいたいブレーキとアクセルの位置関係も知らなかったようだから、いったい韓国で免許を取る際にどんな試験を受けたのだろうか、、。ブタ鍋屋の広い駐車場でアクセルはまだ踏ませずにクラッチのつなぎ方の練習をさせる。

YMCAのパーティーは実に和やかなムードであった。参加者は日本人とタイ語を学ぶ外国人、そして日本語を学ぶタイ人であった。もっともタイ人のほぼ半分は子供であったが、、。タイ料理の昼食を食べ、ゲームをし、くじ引きでプレゼントを受け取る。風船割りゲームてはハッスルしすぎてちょっと汗をかいてしまった。そして食事もたっぷりと、メニューは大したものはなかったが、量だけは食べてしまった。私がもらったプレゼントはボールペンであった。

YMCAの後は優泰の日本語補習校である。今日は3連休の最終日にあたっているためか欠席している生徒が多い。お母さんの顔色がすぐれず、疲れているようだったので駐車中のビートルのエアコンを点けっぱなしにして、お母さんを後部座席に横にさせた。お母さんも韓国から戻ってきてから、あまり顔色が良くない。

補習校が終わり、アパートに戻るとすぐにノートがやって来た。夕食までのひとときをノートと優泰は遊んだのだが、優泰はおもちゃを持っている側で、ノートはそのおもちゃで遊ばさせてもらう側のため、所詮主導権は優泰に握られている。優泰のタイ語を聞いていると「それはダメ(マイダーイ)」とか「それは良くない(マイディー)」といった否定形の言葉が頻繁と口にしている。

夕食にはお母さんは食欲がないと言うので、小屋がけ食堂で白粥を作ってもらい、私と優泰はケチャップ味のチャーハン(チキンライス)とキュウリに似た野菜の炒め物を作ってもらう。優泰用のチャーハンにはアパートへ戻ってから、薄焼き玉子で包んでオムライスにして食べさせてあげた。優泰の好物のひとつがオムライスであり、特にケチャップの味が好みらしい。今晩はお母さんを早く休ませるためにも、9時過ぎには消灯とした。

 

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