3月9日 火曜日 天気は薄曇
本日もギフトさんはお休みである。具合が悪いのだろうが、こうして何日も出てこないと、あとで出社しにくくなるのではないかと心配になる。
本日は航空券の発券ラッシュである。発券には最新の注意をしているつもりだが、出来上がった航空券を見ると運賃計算ミスなどがあったりして、その都度指摘して直させなくてはならない。本来なら二重三重のチェック体制が敷かれていて然るべきだが、ここのスタッフたちはこの手のチェックをするという作業が苦手である。結局私が何度も見直しをしなくてはならないのだが、一人で何度も同じチケットを見ると言う作業は、あまり効率的ではない。
午後から、優泰の滞在期間延長のための手続きにイミグレーションへ行く。書類は学校関係のものが何通かと、成績証明、パスポートのコピーなどである。指定の書類は全部揃えたつもりであるが、なんと言っても毎年色々と注文を付けられて、一度で完璧と言うことは無かった。今回は何が追加されるのだろうかと心配であった。順番待ちの番号札をもらって、待つことしばらくで名前を呼ばれる。パスポートのページのコピーが1枚足りないという。イミグレーションの裏にある簡易食堂兼コピー屋で2バーツ払ってコピーをとる。この手のコピーに関する書類不足なら、簡単である。面倒なのはどこどこの役所が発給する証明書を要求される場合だ。役所の証明書は発行に手間も時間もかかる。が、心配したそれらの書類提出も求められなかった。「ところで、申請者本人はどこにいるの」と質問された。「いゃ、まだ学校でして、今日は4時過ぎに終わりますが、、」と答えたら、「あのねぇ、7歳以上は必ず本人確認が必要なの、だから連れてきてもらわなくちゃ」と指摘される。今回は書類不備ではなく、優泰そのものが不備であった。「はぁ、では、後ほど連れてまいります」と答えたのだが、その時、イネグレーションの中に宝石の訪問販売業者が入ってきた。ここの係官の大半が女性であり、書類審査の手を休めて、宝石屋を取り囲んで花が咲いている。これはチャンスである。私の担当官も、一つ一つ指輪やペンダントを手にして、「これどう思う」なんて私に聞いてくる。「スアイ、スアイ(きれいですよ)」と私は答え、「でも、これなんかどうですかねェ」なんて宝石屋のセールスのようなことまで口出しする。すると担当官もますますその気になり、「こっちと、どっちがきれいだと思う」と、右手の指輪を見せられた。色の濃さも断然違う石が輝いていた。「いゃー、お見事で、、」と答えると、「これは私のなのよ」と嬉しそう。「はめてらっしゃる時計もすばらしいですね」と調子を更に合わせると、「ああ、これ、ロンジンなの」「へぇー、高いんでしょうねェ、いゃあ、文字盤の周りの石も輝きが違いますね」と言うと、もう完全にハッピーになってくれた。「高いかどうかは、判らないけど、もらったものなのよ」と係官は答えて、また審査を再開した。結局、今年も優泰は本人出頭無しで、OKとなり、すんなりと1年の滞在が許可された。代金は1900バーツ。2千バーツを出して、そのまま出ようとしたら、百バーツのつり銭を返してよこした。こちらはチップのつもりだったのだが、、。今回は、この宝石のセールスに助けられた。もし、失敗したら「あぁ、この宝石ほしいだけどなぁ」なんて無心されたら、状況によっては、とんだ出費を覚悟する羽目になっていたかもしれない。
夜、お母さんが不機嫌にしている。私には人の気持ちを思いやるところがまるで無く、私は「性格欠損者」なのだそうだ。まぁ、本人は気付かずとも、一緒に暮らしているとそう感じるのかもしれない。「そんな人とはもう一緒に暮らしていけない」と言う。そして「7月になったら、私はソウルに帰りますから、優泰のことはどうするか、お父さん(私のこと)が決めといてください」と言われてしまった。以前なら、あぁ、また始まったかぁ、毎度周期的なものだから、下手に出て、とりなしておけば、そのうち治まるだろうと考えていたが、その繰り返しにも、そろそろ疲れてきた。「一緒に暮らせないなら仕方ないね」と返事をした。優泰の学校が終わるのは6月だし、アパートの契約も7月に切れる。銀行の貯金が尽きるのもその頃だろう。東京の空家も気になるし、7月と言うタイミングは好都合かもしれない。別に私のほうから「ああだ」「こうだ」と言うことをしないで、その時まで黙って様子を見ていることにしよう。ひょっとしたら、8月から、私はひょっとしたら完全な自由な生活が保障されるかもしれない。
朝食
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ご飯と肉じゃが風の炒め煮。 |
昼食
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生トウガラシ炒め。 |
夕食
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マカロニのトマトソース炒め、空芯菜の炒め物風。 |
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