旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

このページ「チェンマイ通信」はIIJ4Uサービスのホームページ機能が2016年3月31日(木)をもって終了した関係で、chiangmaikk.comのサーバへ引っ越ししてきました。設定不備もあるかと思います。

 

HPご意見メール

3月8日 土曜日    天気は晴れ    

 優泰を日本人授業補習校へ送り込んだ後、ガソリンスタンドに立ち寄って、ビートルのギアとエンジンオイルを補充してもらう。さらにスタンドでエンジンルームの清掃を行う。今までエンジンルームを一度も清掃してこなかったので、ものすごい埃である。漏れたオイルが飛散し、そこにまた埃が溜まり、ベトベト、ガチガチになってしまっている。雑巾にオイルを滲ませて汚れをふき取る。たちまち雑巾が真っ黒になってしまう。

 午後からドライブ旅行に行くことにする。目的地はプーチーファー。プーチーファーは北タイでもっとも有名なご来光を仰げる山で、ラオス国境にあり、ラオスの森の雲海から昇ってくる朝日がすばらしいそうだ。2時半過ぎにチェンマイを出発し、メーカチャン、パヤオを経由して、東へ向かう。プーチーファー周辺にどんな宿があるのかわからないし、標高の高い山で簡易宿泊施設だどでは、寒くて眠れない可能性がある。どこか麓の町の宿屋に泊まろうと思っていた。パヤオから東に行くと、土地感が私にはない。出てくる地名も聞き覚えのないところばかり、、。トゥンと言う町が地図で見ると大きそうなのでそこまで行こうかと考えたが、どの道を通って行けば良いのやら。とりあえず道なりに走って行き、チェンカムという町で夕方6時近くになった。もうあと30分もすると日が暮れて、宿探しにも難渋しそうなので、この町に泊まることにした。

 チェンカムの町に乗り入れると、実に静かで、穏やかな良い町である。建物は木造建築が中心だし、毒々しい広告看板などは目に付かない。それと商店街らしいものは見当たらず、民家ばかり、、。それは良いのだが、宿屋も見当たらない。民家の続く道を走りつづけると、黒く美しい衣装に身を包んだ女性たちを多く見かけるようになる。衣装は晴れ着のようで、顔にもきれいに化粧をしている。そのうち大きな太鼓のようなものを載せた山車も引かれてきた。これは何かの祭りであろうか、、。そう祭りであった。町外れに近い寺院がその会場で、中には同じように着飾った人たちでいっぱいであった。チェンマイ周辺の祭りで観客たちまでがこれほど着飾って集まるものは少ないのではないだろうか、、。

 宿は寺院から少し先の街道沿いにあるモーテル風にとることにした。チェンカム・ガーデン・リゾートだそうだが、作りはモーテルそっくりである。こぎれいなレストランもあったが営業していないとのこと、一泊450バーツ。宿の主人に祭りの正体を聞いてみるとタイ・ルー族の祭りだそうだ。タイ・ルー族とは、さっき見てきたような黒い衣装が特徴のこのあたりの部族なのだそうだ。チェックイン後祭りを見学に行ってみると、もう祭りはほとんど終わってしまっていた。ぜひ明るいうちに見てみたい祭りであった。

朝食

ご飯とジャコの炒め物、大根のナマス。

昼食

ご飯と小屋がけ食堂の五目野菜炒め(夕べの残り物)。

夕食
チェンカムの街道沿いの食堂にて空芯菜の炒め物、鶏とカシューナッツ炒め、豚肉のニンニク揚げ。

 

 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

チェンマイ帰り就活日記

求む!ピョン子の情報