7月8日 日曜日
今日もひとりで川縁の公園で体操をする。
お母さんの具合が昨夜より悪くなっているようだ。今日はまたチェンマイまで帰らなくてはならず、体調の悪さが気になる。朝食は外へ連れ出すよりパンでも買ってきて食べさせるべきかと考え、ひとりパンを買いに外へ出る。通りの商店では、適当なパンが見つからず、市場へ向かう。市場には菓子パンの卸売りをしているような店があり、アンパンなどを5種類買う。卸しだからかたったの10バーツであった。
ホテルの部屋で菓子パンをかじり、パックの牛乳をすすって、チェックアウトする。時刻は午前9時。帰りのルートは来る時とは別のルートを取ることにした。地図を見るとスコタイから山越えでトンという街へでる道があり、トンはスーパーハイウェイ上の街で、バスの走るターク経由よりも20キロほど近道になっている。
今日は朝から霧雨のような雨が降っている。ガソリンが減っているし、山越えの前に給油をしないと、と思っていたが、トンへのルートも田舎道で、集落がほとんどない。往路ほどの山道ではなく、田園風景もあるのだが、まともなガソリンスタンドは見当たらない。時々あるのはバイク相手にドラム缶ひとつに手回しポンプでガソリンを売っている小屋くらいだ。スコタイを出て50キロほど走ったところで、漸く一般的なガソリンスタンドが現れた。しかし、街中と比べるとガソリンが少し高い。これは日本でも同じだろう。街道沿いのスタンドは安く、田舎道のスタンドが割高なのは、、。とりあえず峠を越える分だけでもと思い、200バーツだけガソリンを入れてもらう。
トンの街へは11:30に着いた。やはり山道があったとは言え、予定より早く着いた。ガソリンもまだ十分ある。ここからスーパーハイウェイを走れば、200キロほどでトチェンマイだが、別ルートでリーという村を経由する田舎道を走れば、これまた15キロほど短縮できるので、再び田舎道へ進路を取った。
失敗であった。ただの田舎道ではなく、本格的な峠道で、カーブも坂もキツイ。スピードも20キロくらいしか出せない。道も狭い。国道になっているが、日本の林道並であり、碓氷峠の旧道を思い出させた。結局リーの村には1時近くに到着した。ガソリンも結構食ってしまった。リーの村はこのあたりでの中心的集落のようだが、小さな街であった。ピックアップトラックの集まるバスターミナル(?)の隣の食堂で簡単な昼食を取る。お母さんはまだあまり元気ではないが、リアシートで寝ていたためか、血色は良くなっていた。
ガソリンはランプーンの街外れまでなんとか持った。スーパーハイウェイへ続くバイパスでガソリンを入れたが、係りの男の子は馴れていないせいか、給油中のガソリンホースをガソリンを止めずに引き抜いてしまった。そのため周囲にガソリンを撒き散らし、ビートルのボンネットも私のズボンもガソリンの雨を被ってしまった。ちょっと文句を言ったが、こんな子供相手に怒っても仕方ないので、ズボンのガソリンが気化するのを待って運転席にもどる。
スーパーハイウェイはやはり快適であった。時速100キロほどで走行できるし、路面も良く整備されている。下手に近道など考えずに、素直にハイウェイに乗るべきだったと反省した。家には4時半前に到着できた。
夕食に、私と優泰はスパゲティを食べたが、お母さんは釜揚げうどんが良いと言うので、釜揚げうどんを作り食べさせたが、とても具合が悪そうであった。お母さんはトイレに立ち、しばらくすると意識が朦朧としているようだ、そして気を失ってしまった。トイレから抱き起こしベッドへ寝かせる。気がついたようだが、まだ意識がはっきりしておらず、うわごとを口にしている。大事に至ってはいけないと、近くの総合病院へ電話をし、救急車を呼ぶ。優泰には先に寝ているように指示し、病院へ向かうが、救急車ではなく普通のワゴン車でサイレンも鳴らしてくれない。ただ医者がひとり同乗してくれているだけで、担架もなく、私がおぶることになった。
病院では、すぐに救急室に入り、簡単な診断を受けるが、扁桃腺炎ということで、リンゲル注射を打つ事になる。また、病室はどれがいいかと聞くので、とりあえず2人用デラックスという病室を希望し、病室に移される。このころにはお母さんも正気を取り戻した。
デラックスとは言っても所詮病室だが、広さは16畳ほどで、ベッドがふたつ、ソファがふたつに、バスルームは1箇所。まずまず快適な環境だ。この病院のデラックススイートという病室に以前見舞いに行った事があるが、冷蔵庫やビデオなどホテル並の設備で、看護婦さんは常時二人が付き添ってくれているサービスぶりだった。今回は看護婦さんの付き添いは無かったが、食事はメニューから好きなものが頼めるシステムで、日本食も近所の高級日本料理屋から配達されるそうだ。ちなみに、この病院は台湾の歌手テレサテンが息を引き取った病院としても知られている。
夜9時半過ぎ、ひとまず入院にあたり必要な身の回りのものを取りにアパートへ戻る。優泰は既に寝ていたので、そっとタンスをあけて荷造りをする。エアコンの効いた病室では寒いだろうと、タオルケットも1枚持っていくことにする。
10時半に再び病室へ戻ると、すでに消灯していた。同室の19歳の女の子も既に寝ているようなので、荷物だけをお母さんに手渡して、早々に引き上げることにした。