3月7日 木曜日 天気は晴れ
優泰のバス通学が始まる。迎えの時間に間に合うかどうかやきもきしたが、ちゃんと7時前にはアパートの下に降ろす事ができた。はじめてのバス通学なので今朝だけお母さんがバスに便乗させてもらう。バスといっても10人乗りくらいのワゴン車である。優泰とお母さんを乗せた後、隣のヒルサイドコンドミニアムでも子供を乗せた。私はビートルで通学バスの後を追いかける。この通学バスは学校が運営しているものではなく、民営である。一ヶ月の運賃は1500バーツと安くはない。流しのピックアップトラックに相乗りして行くのの何倍かに相当する。バスはスーパーハイウェイに入り、学校への入り口を素通りして先へ進んだ、どうやらサンサイと言うチェンマイの北東にある住宅街へ向かうようだ。私も後をつけたが、生憎と信号待ちで捕まり、見失ってしまった。サンサイ街道を走りながら捜したが見当たらず、とうとうメージョーまで行ってしまい、見つけられないまま学校へ辿り着いたのは始業時刻になってしまった。お母さんは学校で待っていた。
YMCAの英語のクラスは今日が中間テストである。今まで、高得点が取れなかったのは、英語そのものの問題より、タイ語訳がからむところの配点が大きく、そこで点を失っていたのだ。その反省に基づいて、今回はテキストに出てきた重要と思える英単語のタイ語訳を覚えることにした。英タイ辞典を持っているわけではないので、英語から日本語、日本語からタイ語と間接的に訳す。そのために誤訳が発生している可能性もあるが、テストなんて物はパーセンテージの問題と割り切って、一夜漬けならぬ、当座しのぎ的にタイ語の単語を覚えていく。はたして、この対策はほぼ成功した。山を張った単語のほとんどが出題され、タイ語から英語はほぼ万全、英語からタイ語もなんとかカッコがつくくらい理解ができた。しかし、やはりパーセンテージの問題は残っており、あとで調べてみるとタイ語の綴りを何ヶ所も間違えていた。
午後、明日のバンコク行きのバスの切符を買いにアーケードバスターミナルへ自転車で向かう。アパートからは結構な距離だが、途中、明日優泰のクラスメートの誕生日会がその子の自宅で開かれる事になっており、その場所を確認してくるようにお母さんから仰せつかって来た。のんびりとメーピン川沿いの道を自転車で走っていると、日本人らしき女性の2人連れが歩いているのが目に留まった。そして「太郎さん」と声をかけてくるではないか、、。メガネの位置を正してよく見るとそのうち一人は昨年YMCAで机並べてタイ語を習っていたT嬢であった。私は彼女はタイ語のクラスにも出てこないし、もうとっくに日本に帰っちまったかと思っていたが、まだチェンマイに居たらしい。若い人たちはタペー通りやナイトバザール周辺に足が向くらしく、そのあたりを避けている私は狭いチェンマイにいても出会わないのだろう。
優泰のクラスメートの家はチェンマイ随一の豪華さを誇るフローラルコンドミニアムの隣にあった。背の高い塀に囲われて内部は見えないが、少なくても500坪はあろうかという広大な敷地だ。いや千坪くらいあるかも知れない。建物もまるで外からは見えないのだ。このような所に住んでいるのは昔の(今もかもしれない)貴族階級と相場が決まっている。タイにはときどきとんでもない大金持ちがいるのである。
バスの切符は守備よく買えて、明日の2時発のプミンツアー。運賃は403バーツ。アパートへの帰り道にタニン市場に寄って晩ご飯の惣菜を買う。子供の握り拳大の砲丸型のハンバーグ風をトマトやニンジン、タマネギなどと一緒にトマトソースで煮込んだものがあったので、これを買う。また、とうふの厚揚げ風も買って、これは大根おろしを絡めて食べることにする。
アパートの直ぐ近くで地域祭りが開かれていた。夕食後、優泰を連れて遊びに行きたかったが、お母さんに禁止されてしまった。「7時半には寝せるんだからダメ」だとの事であった。私一人でも行きたかったが、それでは優泰に義理が立たないので、ベランダから祭りの灯を眺めるに留めた。
朝食
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昨夜の残りのトン汁。 |
昼食
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アパート前のフランドチキン屋から買ったチキンともち米。タイの漬物的存在のナムプリックも摘む。 |
夕食
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タニン市場で買った厚揚げ豆腐風に大根おろしをまぶして食べる。また、巨大なハンバーグ風のものをトマトソースで煮込んだものをお母さんと優泰に食べさせる。ご飯が足りなくなったので私はマカロニを茹でて食べる。 |