5月5日 土曜日
まだ朝も明けないうちに目がさめてしまった。
鶏すらまだ寝ているのか、網戸越しに聞こえるのは車の走る音くらいだ。もう少し寝てよう。次ぎに目がさめたのは調度朝日の昇るところだ。でもまだ朝6時。今日は体操はしない事にして、もう少し寝てよう。
あー暑くても寝てられない。日差しがベッドの上にも差し込んでくる。朝7時。そろそろ起きるとするか、、。
この二日間にたまったメールに一通り目を通し、格別急ぎの仕事も無い事を確認したので、優泰と朝ご飯を買いに出る。しかし、優泰はタイのカレーじゃなくてポケモンのカレーが食べたいという。タイのカレーだって辛いので一度も食べた事が無いくせに、このタイに来てポケモンカレーだなどと駄々をこねるとは。
朝食には豚挽肉入りのうどんと白粥を買う。粥を煮てもらっている間にビン入りの甘い豆乳を一本買い、優泰に与えるが、豆乳ではなくファンタが飲みたかったとかブツブツ言っていやがる。まったく朝っぱらから頭に来る餓鬼だ。
家に戻り粥少々とうどんを少し優泰に分け与えるが、うどんは食べたくないと言い、粥もほんの一口でもう食べないなどとほざく。そしてふたこと目にはポケモンカレーをお昼に食べると言い出す。一昨日からまともに食事をせずにいるので、ベッドの上での謹慎を申し付け、ベッドから降りることを禁止してやった。
優泰が絡んでこないので、今のうちと思いHPの日記を更新する。
更新した後、ショッピングセンターへ一人出かけ、4階にある映画館を調べる。
今日は日本では子供の日なので、ジェットAというタイで作られたウルトラマン映画を見せてやろうと思い、上映の確認に行ったが、どうやらかかっていないようだった。仕方なく、下のスーパーで日本風の米、醤油、日本から輸入のソバ、スパゲティとソース、オイル、マンゴー、牛乳などを購入する。
スパゲティのソースで私はママーのソースが好きなのだが、このソースは原産国はタイと表示されている。にもかかわらず、スーパーに並ぶスパゲティーソースはどれも値段が高く、そしてあまりおいしそうではない。かろうじてキューピーのソースがまともに見えたが、一人分入りの小さな缶で40バーツ近くする。結局、3人前入りと表示された見るからにタイブランドのソースを50バーツほどで購入する。家に戻り、もらい物のB5サイズノートブックPCの設定を行う。旧式のものでサイズはB5ながら、モニターの大きさはハガキ大しかない。また、ブラウザーもお話にならないほどバージョンの低いものが入っていたので、ダイヤルアップでネット接続できるようにし、IE5をダウンロードする。韓国語とタイ語のフォントを選択したので17Mbほどの容量となり、ダウンロードに2時間以上かかった。その間、優泰は昼寝をしており起き出してこないので、こっちは先にお母さんと2人分の昼食を小屋がけ食堂に買いに出かけ、バジルと豚挽き肉炒めと幅広うどんのあんかけヤキソバを購入。また、お母さんは優泰用に日本風のお米を鍋で炊く。
優泰は結局3時近くになってようやく昼寝から覚めたようだ。
その頃には我々はとっくに昼食を食べ終わり、せっかく炊いた日本風のお米も冷めかかっていたが、それでもポケモンカレーを食べると言う。4時頃になって、変圧器を探しに家を出る。優泰はショッピングセンターへ行きたいと言うのでお母さんが同伴する事となる。お母さんはお母さんでお金が無いといい、私から500バーツを借り出した。ショッピングセンターの前で二人と別れ、ひとり変圧器を探して歩き回る。白象門を過ぎた当りに電気関係の店が何件か並んでいた覚えがあったので、その辺に行けばなんとかなるだろうと目星をつけた。
白象門をだいぶ過ぎた当りで、電気屋が何件か並び始めた。といっても中古らしきテレビや電動工具、楽器類が主体で、店内は薄暗く、日本の電気屋とはイメージがだいぶ違うが、こういう店こそ「変圧器」のような地味な機械を売って入そうである。
1軒目のお兄さんに「英語がわかるか」と聞くと、「判らない」との答え。また私も変圧器をタイ語でなんと言うかも良くわからない。面倒なので店内を物色しても言いかと問うと、「かまわん」というので遠慮無く店内に置かれた雑多な器具機械類を眺め回すが、自動車の電源用コンバーターは見つかったが、変圧器らしいものは見つからなかった。
次に何軒か素通りして、若い娘さんが店の前に立っている電気屋に入る。娘さんに「英語はわかるか」と問えば「少しなら」とのお答え。しかし、「トランス」も「コンバーター」もご存知無いようなので、今度は私がタイ語で悪戦苦闘する。日本のテレビは100Vだ。タイのテレビは230Vだ。私は持っている、日本のテレビ。日本のテレビ、230V、タイで見る、壊れる。と、とにかく思いつく単語を次々に並べ、変圧器の何たるかを説明する。娘さんはじめ何人かの女店員や店の主人らしき華僑風の無口なおじさんまで出てきて、プラグを取り出したり、AC/DCアダプターを取り出したりしてくれたが、どうやら「電気についての基礎知識を持ち合わせていないのでは」といった疑念が沸き、「コープクン(ありがとう)」といって店を出ようとしたとき、この店主らしいおじさんが、女店員に指示して、店の棚の高いところにあるホコリを被った小さなダンボールの包みを取り出させた。ダンボールの中身まで凄いホコリだが、中にはほとんど剥き出しのトランスが入っているではないか。電気の入出力を見れば、入力230V 出力110V 300VAとある。日本の電圧より10Vほど高めだが、これで大丈夫なはず。520バーツと書いてあったが、何も言わずとも、あまりのホコリの凄さに500バーツにしてくれた。
掘りの北東側を歩いてみる。のどなか昔のチェンマイのようなたたずまいを残した街並みが残っている。店先で古いイタリア製ランブレッタ・スクーターを解体修理している親父がいる。日本のラビット・スクーターを知らないかと聞いたが、知らないとのこと。また、修理しているランブレッタ・スクーターは売り物ではなく、売り物はみんな売れてしまってもう無いそうだ。
ベストゲストハウスと言う名前の木賃宿があった。しかし、傾きかけた木造2階建ての木賃宿で、チェンマイでもめったにお目にかかれないほどのオンボロ木賃宿だ。こんな宿にベストゲストハウスと名前をつけるなんて、ここの主人はなんて洒落者なのだろう。
掘りを渡って城内に入り、静かな住宅街を歩く。また、古いバイクを修理している店がある。覗くと、ここではランブレッタ・スクーターが「売ります」と札をかけられていた。値段を尋ねると6万バーツ(17万円くらい)とのこと。だいぶ古いのに、ずいぶんと高い事を言うではないか、作業中のお兄さんに言うと「古いから高い」とのこと。中には何十万バーツのもあるぞと言って中を見せてくれる。なるほど戦前のバイクや1940年代のイギリス製など、無造作に置かれている。
掘り沿いに歩き、白象門を越えたあたりで、こんどは中古ベスパ・スクーターの専門店があり、ピカピカに磨かれ、ゴテゴテと装飾されたスクーターが並んでいた。こうして街を歩いていれば、そのうち幻のラビット・スクーターにも出会えるかもしれない。
家に戻ると、お母さんと優泰の二人はベッドの上でパズル遊びをしていた。
あの500バーツは結局、このパズルになってしまったのか、、、。変圧器を電源に指し込み、電圧計で出力電圧を測ると114Vもあった。日本の電気製品にはちょっと高すぎるが、この位は許容範囲だろうとと勝手に解釈して、ファックスをつなぐ。まだどこからもファックスが届く予定も無いし、送信する先も無いので、ファックスが使えるかどうか判らないが、電話機だけはちゃんと動いてくれた。電話機の子機用充電器もつなげたが、こちらはアダプターがだいぶ熱を持つようだ。しかし、かまわずつなぎっぱなしにしてしまう。近くに燃えるものさえ置かなければ大丈夫であろう。
夕食には優泰が再びゾウさんが来るコカ・レストランに行きたいというので、二晩続けてタイスキを食べる。メコンウイスキーのソーダ割り、リポビタンD入りを注文したが、今日はラーさんついてくれなかったので、分量の割合がイマイチであった。また、ゾウさんもこのところ店に来なくなったとのことであった。