旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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1月5日 日曜日    天気は曇り 午後から雨 

 まずはビルマ国境を目指してみる。国境までの道はどうしてこんな道が必要なのかと首を傾げてしまうほどの立派な4車線のハイウェイであった。そして国境の橋も驚くほど立派で、バンコクのメナム・チャオプラヤー川にかかる橋や、タイ・ラオス国境のメコン川にかかる橋並であった。しかし、下を流れるモエ川はそんじょそこら川と変わらず、川幅はせいぜい20メートルほどしかない。国境の検問所で橋を渡れるかと確認したら、パスポートがあれば一人500バーツで渡れると言う。500バーツなど高すぎる気もするし、第一、その前にパスポートなど持ち合わせていない。橋など渡らなくても、結構である。橋の袂の国境市場を覗くと中国製品ばかりが並んでいる。それとてもメーサイの市場と比べると規模が小さい。メーサイでなら宝石や金商が並んでいるべきところに木工製品が並んでいるところがメーソットらしさであろうか、、。市場のはずれにモエ川が流れており、その川を見ていたら結構ビルマ側から川を渡ってやってくる人がいる。これは不法入国なのだろうか、、。それとも橋の通行料を節約しているだけだろうか?

 メーソットからモエ川に沿って北上するのは国道105号線で、この国道も対面通行ながら、良く整備されている。国境沿いの僻地の道とは思えないほどだ。メーソットからしばらく走った右側に「温泉あり」の看板があり、右折して温泉を見てみることにした。国道から逸れること5キロほどに温泉が湧いており、庭園風になっていて個室ながら入浴施設も整っていた。が、残念ながら利用者は多くはないようだ。

 メーラマートの町を過ぎたあたりから山がちとなり、随所に検問所が現れた。モエ川から内陸部に多少入っているはずなのだが、国境警備なのか検問所には土嚢が積まれて物々しい。さらに進むと大きな集落が現れた。戸数は数千もありそうで、山の斜面一面に木造の家々が張り付いている。圧巻であった。が、通常の集落と決定的に異なっているのは、集落が塀に囲まれていて、出入りは特定の門に限られていることだ。ちょっと珍しいので、集落の中に入ってみることにした。家々は豊かではなさそうなのだが、格段古めかしい家もなく、新築の家もない。そして所々に集会場のような建物があった。集会場にあった文字を見てみるとタイ文字ではなく、ビルマ文字と英語である。そして、この建物が難民のための救援物資配給所であることがわかった。配給内容は米が一人1ヶ月15キロ、その他にも食用油など結構な量がある。Pさんの話では、この村はもうほとんど定着しきっている難民キャンプではないかと言うことであった。

 昼食はターソンヤンという村で取った。モエ川を望む小さな食堂で、乗合ピックアップの発着所になっているようだ。川に面した土手には、国境の監視所のような小屋があったが、銃を持った警備兵の姿はなく、小屋はただの渡し舟の管理小屋のようであった。係員に対岸はビルマか?と聞くと、そうだと言う。対岸に見える寺院に参拝したいが、対岸に渡れるか?渡れる。「えっ、こんなところからビルマに入国できるなんて知らなかった」と言うのが私とPさんの共通の驚きであった。早速、30バーツで小船を雇い対岸へ渡る。パスポートも持たず、当然出入国のチェックも受けていないのだから、これは不法入国と言うことになるのであろう。しかし、平和なものであり、誰何の声がかかるわけではなく、のんびりと丘の上の寺院へ参拝することができた。もっとも船の船頭さんがお目付け役のようについて来る。寺院参道には民家がないのだが、丘の上から眺めると集落が見える。ガイド役にもなってくれる船頭さんに聞くと、戸数100戸以上だろう言う。ほんの30分ほどのビルマ滞在だったが、なかなか面白かった。

 正午前後はカンカン照りであったのだが、午後になって、曇りだし、小雨まで降り出した。道も悪くなり山中の隘路となった。交通量もほとんどなく、所々土砂崩れで舗装面が流されていたり、酷いことになっている。いくつかの峠を越えて、メーホンソン県に入る。ソップムイ村からすぐ東を走る国道1194号線に入ればビルマの大河サルウィン川に出られる。今回のドライブの締めくくりに、サルウィン川を見てみたいと考えていた。地図を見るとソップムイ村から国道1194号線に抜ける道が描かれている。どこが入り口か100万分の1の地図では良くわからないのだが、それらしい道に入ってみる。たぶんこの道で良かったのだろうが、長らく車が通っていないような道で、峠の途中で土砂崩れによって道が消えていた。

 1194号線には結局かなり先のマイ村から入った。もう時刻は5時になっている。早くしないとサルウィン川にたどり着く頃には日没になってしまう。しかし、スピードの出せる道ではない。酷い悪路で舗装してあっても穴だらけ、中には路面の大半が谷に崩れ落ちている個所の連続で、細心の注意でハンドルを握り、ギアもローとセカンドの往復である。が、落ちこむような右カーブに差し掛かった際に、路面の大半が水溜りに被われ、右も左も崖になっている。十分にスピードを殺そうとブレーキを踏み込むと、スリップする。スリップなどしたら、ハンドルが効かず、遠心力で左の谷に突っ込んでしまう。が、下り坂で、ブレーキを踏まなくては加速してしまう。ハンドルもほとんど効かない。右側に僅かながら盛り土があり、そこへ乗り上げてスピードを落とそうとしたが、路面の傾斜に流され、ビートルのフロントが盛り土を突き破って、停車した。右前輪は谷の上に突き出している。もし、ビートルが一般の自動車のようにフロントエンジンであったなら、間違いなく谷底へ落ちていたことだろう。運転席側も空に浮いているので助手席側から降りて驚いた。泥道なのだが、とんでもなくキメの細かい泥で、氷のように滑る。歩くことすらできないくらいだ。運良く、500メートルほど戻ったところに営林署の積め所のようなところがあり、そこから若い人達が10人くらいやって来て、ビートルにロープをかけて引っ張り出してくれた。脱出した後、彼らは「良かった良かった」と手を振りながら立ち去ろうとするので、私は慌てて100バーツ札を彼らに握らせる。もう、日没までにサルウィン川にたどり着けても、岐路の真っ暗な中で、この悪路を走るのは自殺行為に思えて、今回はここまでと言うことにしてチェンマイへ引き上げることにした。

 帰路、メーサリアンの街道筋でクオッティオウドンをすする。この店の隣には生後1年ぐらいのテナガザルの子供がいた。抱かせてもらうとしがみついてくる。主人に聞くと550バーツで買ったのだそうだ。テナガザルのような霊長類が、こんな値段で取引されているとは驚きだし、野生のものとしたら、まだこのあたりの山で生息していることも驚きである。バンコクあたりでは闇で何万バーツで取引されているだろうし、日本なら数百万ではないだろうか、、。

 メーサリアンからはホートまで、夜間の険しい峠道を雨を突いて走り抜け、チェンマイに着いたのは11時近くになってしまった。走行距離は900キロにもなっていた。

朝食

メーソットの町で、ジョックと呼ばれるトロトロ煮のお粥。

昼食

モエ川縁の食堂にて豚肉のバジル炒め目玉焼き添え。

夕食
メーリアンにてクオッティオうどん。

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メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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