12月5日 水曜日
今日は国王誕生日であるが、世間一般では、またはタイ語が良く分かっていない私のためにそう説明しただけかもしれないが、タイでは父の日とされているそうだ。そう言えば8月の王妃誕生日は母の日だった。
優泰は朝7時に起き出してきて、「ウルトラマン始まってる?」と第一声を発した。しかし、ウルトラマンは週末のプログラムであり、同じ休みの日でも、水曜日にはやらないのだということを説明し納得させる。朝食にはそばを茹でて「かけそば」にして食べる。ネギなどの薬味はなく、干した小海老(アミか?)とタマネギだけである。しかし、たまに食べる日本風のそばもおつなものであった。七味唐辛子の辛さにほんのりとした甘さを感じてしまい、私の舌も本格的に辛さに鍛えられてきたようだ。
今日は優泰の勉強をじっくり見てやろうと思っていたが、朝食後早速ノートがその弟(まだ2・3歳くらいか?)を連れてやってきた。そのため部屋の中から勉強しようと言った空気は消し飛び、リモコンカーの走行音とウルトラマンごっこの嬌声に包まれた。私はその間に洗濯をすることにして、嵐が過ぎ去るのを待ったが、熱帯の台風は停滞気味である。昼になっても嵐が吹き荒れ、PCもDVDのウルトラマンを上映するために占有されており、PCも使えない。しかたなくタイ語の勉強でもるかと、2人の会話に耳をそばだてる。優泰がしゃべっているのはとても本や学校で学んだタイ語とは同じものと思えないが、ちゃんとノートと良し疎通できているところを見ると、優泰は私の知らないタイ語をしゃべっているのだろう。
昼食にタイ式のオムライス(カイチアウ)と五目野菜炒めを小屋がけ食堂から買って来て食べる。ノートは食事はしないといい、昨日小屋がけ食堂のおばさんからもらったバナナを三本も食べてしまった。
昼食後、洗面所の電球が切れているので自転車に乗って買いに行く。ここの電球は毎月のように切れる。いったいどうした事なのだろう。フィリップスの電球だが、オランダ製ではなくインドネシア製だ。それが原因なのか、それとも普通の電球のようにねじ込み式ではなく、押し込んでひねるタイプなのが原因なのだろうか、、。とにかく良く切れる。これで3度目である。昨日あたりから日中の気温がだいぶ上がっている。今日も30度くらいまで上がっているだろうか。自転車に乗ると汗が出る。
ノートは結局4時過ぎまで部屋にとどまり、そしてプールに行こうと言う事になったらしい。ノートは自分たちの部屋へ着替えに行くと言って帰っていったが、しばらく待ってももどって来なかった。きっとプールへ行く事の許可が下りなかったのだろう。しかし、優泰は既に水着に着替えてプールに行く気マンマンである。しょうがないからプールへは私が付き合ってあげることにする。一昨日これが今年のプール納めかと感じたばかりだったのに、また冷たい水に浸かることになるとは、、。しかし、生ぬるい水よりも冷たい水のほうが泳ぎやすいようだ。それに泳ぐ人がいないので水もきれいで気持ちが良い。
プールから上がって、夕食にはスパゲティーを茹でて食べることにした。ソースは日本から持ち込んだレトルトのミートソースであったが、普段タイの市販されているミートソース缶は味が今ひとつだとボヤいていたが、久しぶりに日本のを食べると具が少ない事に驚く。水っぽく、かすかにひき肉のカケラが漂っていると言ったものであるのに愕然とした。ビルマ国境から買って来たカシューナッツを塩で炒ってビールのつまみとして食べるが、実にうまい。優泰と競争するように食べたので、あっと言う間になくなってしまった。優泰には食後のアイスキャンディーを1個2バーツで買っておいたのだが、昨日7バーツを渡して一人で隣の雑貨屋にアイスキャンディーを買いに行かせたのに味を占めて、私が買っておいたものではなく、自分で今日も買いに行きたいと言って私から7バーツをせしめ取って行った。この7バーツの攻勢は下手をすると毎晩続いてしまうかもしれない、、。変な癖をつけてしまったのでなければ良いのだが、、。
お母さんは明日の晩に帰ってくる。優泰もこの1週間よく辛抱したものだ。この間にオネショは一回だけだったか、ほぼオネショは卒業できたと考えても良いだろう。8時過ぎに優泰は寝入った。私はもう少し何かのみたかったが、もう飲み物も尽き果ててしまった。お金もあと10バーツ程しか残っていない。ちょっと口寂しいが、NHKを夜10時まで見て寝ることにした。
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