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9月4日 火曜日

今日は午前中が目いっぱい忙しい。まず優泰を幼稚園へ送り、インターナショナルスクールへ出生証明を届け、お母さんを9時半にレインツリーという教会の付属施設へ連れて行き、10時にはYMCAでの英語教室の下見をする。

はじめに、ビートルでインターナショナルスクールへお母さんと2人で出かける。出生証明や顔写真を提出し、健康診断書と予防接種の記録書の作成方法を聞く。健康診断書と予防接種の記録書は「母子健康手帳」のコピーと英訳でOKとのことであった。そして英訳も私がおこなったものでもかまわないという。これは助かる。この手の書類をラム病院で作成してもらったら結構大きな金額を請求されるところだった。が、良く考えてみると出生証明も「母子健康手帳」に日本語ではあるが記載されているわけで、これもコピーと英訳で済ませる事ができたのかもしれない、、。

書類を届けたところで、インタビューを受けた。どうも私が失業者であることが、問題であるらしく、収入の目途だとか滞在ビザのことを執拗に聞かれた。私立の学校だからまぁこんな事もあるのだろう。よく、駐在員の子弟については、入学に当たり企業側へ多額の寄付金を求めるケースが多いと聞いている。私のような失業者では寄付金の当てもないだろうと言う事かもしれない。

インタビューが終わったのは9時半少し前であった。そのままお母さんをナワリット橋のたもとにあるレインツリーへ送り届ける。ここでは英語を無料で教えてくれるらしい。まぁ教会の付属施設だから、勧誘の目的もあるのかもしれないが、、。

そして、ひとりでYMCAへ向かう。本来はお母さんが受けるべき英語のクラスだが、タイの人達と一緒での授業がどんなものなのか、私が代わりに見学する事となった。
先生は若いタイ人女性であり、クラスメートは私とほぼ同年輩とおぼしき男性1名。そして化粧気の多いおばさんひとりと、20代半ば過ぎらしき女性。まだ学生かと思われる女の子が3人。というわけで、圧倒的に女性が多い。もっとも平日の昼間であるし、いい年の男性が多かったら問題かもしれない。

授業そのものは2時間で、はじめの30分の文法的な講義から始まり、そしてヒアリングと発音、ロールプレイ、そしてエクササイズと続き、最後には宿題も出る。今日の授業は比較級の練習で、中学校の2年生レベルか、自慢じゃないがこの程度なら目をつぶっていても簡単だ。が、これが大変良いタイ語の勉強になる事にまもなく気がついた。なんと言っても、簡単な英文を正確にタイ語に訳してくれるものだから、ネイティブスピーカーによるタイ語の授業のようなものだ。授業中の説明もすべてタイ語だし、私に気遣って分からない顔をすれば、英語に訳して説明までしてくれる。タイ語がまるで分からないお母さんがこの授業について行くとしたら、私が横で通訳をしてやらないといけないかもしれない。

昼にアパートへ戻り、おとといの晩の残りのタイカレーを食べる。ナスに白くカビのようなものが付着している。捨てるのはもったいないし、食べた後に正露丸を飲めば大丈夫だろうとマイペンライ発想をする。タイの人達の名誉のために付け加えるが、タイの人達は決してカビの生えかかったものなど口にしません。これはあくまで、私の乞食根性から来ているものです。

午後はやる事がなくなってしまった。それに外は雨も降りだし外出するのも億劫だ。だいたい私はこのタイで傘というものを持っていないのである。PCをいじっくったりしながら優泰を迎えに行く時間を待つ。

4時近くなり、雨が小降りになったところを見計らって優泰を迎えに行く。

夕食にはコカへ行こうかと思ったが、まだ小雨も降っており、結局小屋がけ食堂で惣菜を作ってもらう事にした。ひき肉のバジル炒め、イカのトムヤム、タイ式のオムレツで夕食とする。本当はもう一品何か作ってほしかったが、店はおばさんひとりで切り盛りしていて、私の料理だけでも20分以上の時間がかかっていた。それに後から来たお客も辛抱強くおばさんの手が空くのを待っている。今日のところは料理3品で満足する事にして60バーツを払う。

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(2015年5月からのブログ)

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