旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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11月4日 日曜日

今日も体操に出る。朝起きたところでは膝の痛みはひいている。ランニングも無理をせず1キロ半ほどを軽く流す。どうやら今日は膝の痛みに悩まさせずに済みそうだ。

朝食にはご飯を炊き、炒り玉子とキャベツの味噌汁で済ます。お母さんには美味しくないと不評のタイ産サクラブランドの味噌だが、醤油(これもタイ産)と塩で塩味を加えたところ、真に良い加減となり、お母さんをして「味噌汁を飲むとホッとするね」と言わしめる事に成功した。

午前中にビートルの洗車をする。車体のあちこちにタールがこびり付いてしまっている。これはワックスでもしないと取れそうにない。まぁと遠くから見れば目立たないのだから、今日のところはそのままにしておく。ある程度洗ったところで部屋へ引き上げる。このところビートルの点火系が良くない。エンジンの回転に滑らかさがなく、アイドリングもまるで不整脈を打っているようだ。点火プラグの点検やポイント(ビートルもラビットのようにポイント調整が必要なのだろうか)の確認をしたいところだが、プラグがなかなか外せない。ポイントの確認方法もわからない。

部屋に戻り昨日とった算数テキストのコピーにページをふる作業をしてみると欠落ページがけっこうある。それとお母さんから目次のページのコピーも欲しくなったと言われ、再度コピー屋へ行く。ロイカトン以来この数日間雨も降らず、毎日天気が良い。朝晩は涼しいのだが、日中は日差しが強い。コピー屋まで歩いていったが、歩いて5分ほどであったが頭がクラクラきた。

昼食にはスパゲティーを茹でて食べる。ちょうどノートが遊びに来ていたのでノートにもスパゲティーを分けてあげたが、ノートはほんの少し味見しただけで食べることができないようであった。まだまだスパゲティーはタイの庶民階級の子供たちの好物にはなり得ていないようだ。食後のおやつとしてお母さんが洗濯屋の前から買ってきたイモのテンプラは、なれた味なのか優泰と二人で争うように食べていたのだが、、。

午後、ビートルの助手席側の窓がスムースに開閉しないので、きっとグリスが足りないのではないかとドア内側のカバーを外し、点検をする。どうやら窓枠のパッキンとの摩擦が大きすぎるようだ。時々パッキンを巻き込みがちである。それから窓開閉用の回転ハンドルはアルミでできているのだが、これも経年劣化が進んでいたのか、何度か窓の開閉テストをしているうちにポキリと折れてしまった。以前運転席側でも同様に折れた経験があったが、ハンドル自体がアルミ製で弱いのに、開閉にかかる力が大きいため、金属疲労も溜まりやすかったのだろう。
窓の調整をしていると、お母さんや優泰、ノートがショッピングセンターへ行って来ると言いに来た。昨日から蚊取の交換パックなどを買わなくてはイケナイと言っていたし、まぁノートも一緒ならそんなに長く出かけている事もあるまいと思った。お母さんたちが出かけて20分ほどで、ビートルを駐車場に回し、部屋へ戻るとまだ帰ってきていなかった。まぁ追っ付け帰ってくるだろうと非常階段の踊り場で待つが、ところがドッコイなかなか帰ってこない。西向きの踊り場にはやがて西日が差し込むようになり、ほとんど生干し状態となった頃、お母さんたちは帰ってきた。ちょうど2時間も待った事になる。

夕食は小屋がけ食堂から何か買ってきて食べようと思っていたのだが、お母さんが「昨日からレモンツリーへ行って2階から外を眺めながら食べたかった」と言い、レモンツリーへ行く事になった。先月外食は週一回と決めたはずだったが、この1週間いろいろな理由や理由も特になくても外食する事が多かった。別に豪華な食事をしたわけでもないのだが、、、。

レモンツリーへはミネラルウォーターの小ビンに米焼酎を入れて持ちこんだ。米焼酎のソーダ割が飲みたかったのである。料理はいつもと同じ優泰は豚のから揚げ日本風、お母さんが鶏肉とカシューナッツの炒め物、そして私はスズキの酢豚風を注文。スズキの酢豚風は正に中華の一品で、食べやすく感じたが、お母さんに勧めたところ、「味が合わない」の一言で、食べてもらえなかった。

 

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(2015年5月からのブログ)

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