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11月1日 木曜日

お母さんの学校付き添い2日目。どうも優泰はお母さんが学校に来るのを喜んでいるようだ。ますます緊張感がなくなっているのが見て取れる。リラックスして学校へ行くのは良い事なのだが、優泰の場合はリラックスなどと呼べるものではなく、すぐにイイ気になって、周りが見えなくなってしまうのが問題だ。まぁまだ数日あるから、お母さんの手腕に期待してみることにする。

優泰とお母さんを学校に送り届けた後、YMCAの英語の予習と復習をおこなう。今日は私一人追試を受けることになっているようだ。せめて単語程度は復習しておこうと思う。

少し早めにYMCAへ行き、タイ語教室の確認をする。応対してくれたのはミンさんである。YMCAのタイ語もレベル別に分かれているそうだが、来週開講されるのはレベル1、3、4の三つのレベルだそうだ。教える内容は会話だそうで、基本的に授業は英語でおこなわれるらしい。しかし、期待していた文字については教えていないそうで、タイ語のつづりはローマ字を当てると言う。これはちょっと残念だ。タイ語はローマ字で表わせきれる言葉ではないし、それにせっかく勉強しても「文盲」でしかない。どうしようか迷ってしまうし、私がどのレベルにあるのかも分からない。するとミンさんが助け舟を出してくれて、月曜日に登録せずに授業見学をしてみたらどうかと言う。前回の英語と同じ方法だ。これなら納得してから登録すれば良いし、レベルも自分で確認できる。早速月曜日に見学させてもらうことにする。

ところで、このミンさんの娘さんだが、まだ5歳になったばかりだそうで、幼稚園生だそうだ。そして、驚いた事にミンさんの家では、タイ語ではなく北京語で会話をしており、娘さんも幼稚園に入るまでタイ語が分からなかったと言う。何故ミンさんが中国語が出きるかはよくわからないが、とにかく長らく台湾北部の会社でタイ語、英語、日本語、そして北京語の通訳として働いていたそうだ。ご主人も長く台湾で働いていたそうで、試しに北京語で話し掛けると、流暢に会話が出きる。このところ私も北京語を使っていなかったので、久しぶりにミンさんと北京語の会話を楽しむ。台湾では給料が良かったが、タイの両親が歳をとっているので帰国した事、台湾語は分からない事、来年はじめに3ヶ月単身でYMCAの研修で日本へ行く事などを話した。YMCAでも来年から北京語のクラスができるそうだ。

英語の授業は、私を含めて4人であった。みんな行った移動したのだろうか?ロイカトンの祭りだから故郷に帰ってしまったのだろうか?クラスメイトが私にロイカトンを見に行ったかと聞く。一昨日ちょっと車で出かけただけだと答えると「今日のタペー通りのパレードは絶対に見なくちゃダメだ」とアドバイスしてくれた。7時からおこなうらしいが、こちらは優泰がいてるので、夜間の外出はままならない。言ってみれば夜8時以降の夜間外出禁止令のようなものだ。授業中に英語読本のテストがあり、私は単語の綴りをひとつ間違えた。英単語のタイ語訳はふたつだけ分かったが、あとはタイ語が分からず答案用紙に絵で書いて提出。絵で書いても正解にしてくれるところが、やはりタイらしい。

授業は12時に終わったが、私は一人追試を受ける。前半は順調にこなしたが、後半にタイ語から英訳の問題があり、これには苦心した。タイ日語の辞書の使用見止めてもらったが、タイ語の基礎的文法が分かっていないので、タイ語文の意味を確認するだけでたっぷり時間がかかってしまった。結局追試に1時間もかかってしまったが、先生は昼食も取らずに、私が答案用紙を提出するのを待っていてくれた。

YMCAの帰りに小屋がけ食堂へ寄り、昼食を作ってもらう。今日のお勧めメニューを聞いたところ、「野菜の甘酢炒め(パットプリアウワーン)が良い、今日はパイナップルが入るよ」と教えてくれたので、迷わず注文。アパートに持ちかえって食べたが、やはりパイナップルが入っていると、甘味も酸味も断然良くなる。

今日はお母さんと優泰は学校が終わった後、フローラルコンドに集まって、来月開かれる日本語補習校の運動会で踊る「アンパンマン体操」の練習をするという。アンバンマン体操は、優泰がまだ幼稚園に上がる前に、幼稚園で未就園児を集めて開かれる「ひよこ教室」でよく踊ったものだ。他の子供たちはみんなお母さんたちと来ていたが、私はこのひよこ教室が開かれる日には会社を休んだりして、何度も優泰と二人で参加しアンパンマン体操を踊ったものだ。確か、体操の最後に子供を高く抱き上げるはずだが、今度のアンパンマン体操でもそれがあるのだろうか?あの頃の優泰とは体重がケタ違いだ。下手をすればぎっくり腰になりかねない。


アンパンマン体操のおかげで、私は学校には迎えに行かず、4時半にフローラルコンドへ迎えに行く事になった。お母さんと優泰をピックアップし、車の中でロイカトンは今日が一番盛りあがり、タペー通りのパレードが良いらしい事を伝えると、2人とも行く気になったようで、アパートへは今戻らず、タペー通りに近いタペープレイスホテルへ直行することにした。ここのホテルのレストランは明るいし、そしていつもお客がほとんどいないので、優泰に学校の宿題をさせるにはうってつけだ。ホテルのレストランで飲み物だけを注文し、宿題のプリントに取り組む。英語が良く分かっていないものが集まって英語の宿題をやるのだから、どうしても時間がかかってしまう。優泰は60バーツもするフレッシュオレンジジュースを注文したが、ほんの少し口をつけただけで、飲まないと言い、コーラを飲み始めた。お母さんは優泰にジュースを与える際に100%果汁とかフレッシュジュースを良く選ぶが、優泰の行動を見ていると、そうしたものより水で薄めて砂糖を加えたビンや缶入りのジュースを好むようだ。そして最近毎日のようにコーラを飲んでいる。以前はお母さんも優泰にコーラなどを与えないようにしていたが、今では優泰は「のどが乾いたからコーラを飲みたい」と言い出すようになってしまった。

夕食も引き続きこのレストランで食べる。優泰はいつもお決まりのクラブサンドウィッチ、お母さんはひき肉のバジル炒め、私はガイトートクルアイマーイ。私が注文したものは直訳すると「バナナの木の鶏のから揚げ」と言ったことになる。つまり、何なのか良く分からないので、試しに注文したら、骨なし(ササミ)鶏肉のフライとフレンチフライの盛り合わせであった。鶏の味は良かったが、もっと奇抜なものを想像していた私としてはちょっと物足りない。

7時近くにタペー通りを歩いてパレードの来るのを待つ。優泰は袋に入った綿あめを買ってもらうが、これも少し食べて「甘すぎる」と言って、残りを私に渡した。最近の優泰はすぐに「欲しいんだけど」を連発する。大泉にいた頃と違い、繁華街の近くに済み、子供の目を引くような商品が氾濫している環境に入ってしまったため、このようなことになってしまったのではないかと想像している。それと最近お金を払えば欲しいものが手に入ると言う事を覚えた事も原因のようだ。

パレードは何台もの山車が出た。山車の多くにはチェンマイ美人が乗り、沿道に微笑みかける。微笑みすぎて頬が引き攣りぎみの美人も見られた。山車の前を行進する露払いのひとたちの多くも着飾っていたが、中には普段着のおじさんおばさんもいたが、良く見るとそろいのTシャツを着ており、どうやらどこかの政党が後援している山車のようだった。結局パレードは始まったばかりであったが、優泰の寝る時間の事もあり、30分ほど見学して、8時前にはホテルの駐車場に戻り、家路についた。帰り道はひどい交通規制と渋滞に遭い。優泰はまた後部座席で寝こんでしまった。渋滞していたおかげでメーピン川沿いから打ち上げられる花火を車窓から眺められた。

 

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ロイカトンのパレードです。画像は重いしボケてるし、ご迷惑おかけします。

 

 

 


メオダムきまぐれ日記
(2015年5月からのブログ)

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