チェンマイ闘病記

9月4日 土曜日

 優泰の補習校は、午前中のみの半日授業。K.K.トラベルでの仕事も、優泰が補習校へ行っている間だけ出社して業務をこなす。
 医者から、熱いシャワーを浴びてはいけない。水でシャワーをするように言われているので、毎晩水シャワーを浴びている。特に、夜中に全身が痒くてし方がない時に水を浴びると、一時カユミが引くので、深夜に何度も水浴びをする。その水浴びのせいか、ちょっと風邪気味である。
 午後、一旦帰宅して、一休みした後、夕方からK.K.トラベルに再度出社。スタッフの応募者の面接をおこなう。これまでもう何人もに応募に来ていただいたが、本日来てくれた人が本命になりそうである。今までにも、この人ならと思える人がいたが、ネックはすぐには働き出せないと言うことがあった。今日の彼には、月曜から見習とし来てもらうことする。
 6時に、手術を受けたクリニックで抜糸の予約を入れておいたが、先生はバンコクへ出張しているので、明日の午後になると言われてしまった。これでは、何のための予約かわからない。変更があるなら、電話で連絡してくれれば良いものを、、。

 

9月5日 日曜日

 やはり、風邪を併発したのか、身体がものすごくだるい。全身のムクミも酷くなり、無残な姿である。しかし、ワタノーでの補講最終回である。ボロボロであろうと全うする以外ない。椅子に座るのも辛い状態なので、ベンチに足を投げ出したような姿勢で授業を実施する。もっとも、体力的に無理そうなので、2時間ずつ2コマの授業だったが、それぞれ90分ずつしかやれなかった。生徒たちからはシナワトラのネクタイと素焼きの壷をプレゼントされた。
 午後、抜糸のためクリニックに入ったが、やはりまだ医者が来ていないと言う。もうじき来るはずだからと言うので待合室で待たせてもらったが、ここのベンチにも座ってられずに、誰もいないのを良いことにして横になった。そしたら、そのまま眠り込んでしまった。目が覚めたら医者も来ていて、すぐ抜糸してもらう。
 帰宅後、体温を計ると39度を越えている。どうりで座るのも辛いわけだ。

 

9月6日 月曜日

 もう完全にマズイことになった。ベッドから起き上がることも困難である。昨日より高熱が続いたままだし、ムクミはまぶたにまで及び、指でまぶたを引き上げないと、目もほとんど見えない状態である。足などはパンパンに膨れ上がり、歩くのも不自由する。しかし、腕や太ももの炎症はだいぶ引いてきている。今日から来てくれる見習スタッフのこともあるし、何としてもK.K.トラベル入りしたいのだが、この状態では断念せざるを得ない。
 昼近くになって、K.K.の経営者から電話が入る。私は電話に出れる状態ではなかったため、お母さんが代わりに電話に出た。これが失敗であった。しばらくしてK.K.のスタッフたちが我が家に押しかけてきて、私を拉致し、市内の高級私立R病院に運び込んでしまった。
 R病院でも、結局医者から言われたことは同じことで「薬アレルギー」だと言う。そして、「薬を変えてみましょう」と言われた。私としては、もう飲み薬はうんざりである。お医者さんは、何か検査をされるでもなく、「4日もすれば治るはず」と言ってくれたのだが、、。なお、先週の金曜日に体重を測定してから何日も経っていないのに、体重が5キロも増えて80キロなってしまっている。

 

9月7日 火曜日

 薬を変えてもらっても、症状の改善はあまり見られない。むしろ足のムクミが一層酷くなり始めている。4時間ごとに服用を求められているタイレノールと言う薬は成分が強いのか、胃の調子が悪くなってきた。
 熱が午後38度を切ったところでK.K.トラベルへ入る。ビートルの運転もままならない状態で、アパートからK.K.までずっとギアはセカンドのまま、時速30キロほどでトロトロと走る。チェンマイの道路交通の良いところは、こんな運転をしても別に問題視されないことだろう。日本ならクラクションを鳴らされ続けているはずだ。
 苦労してたどり着いたK.K.トラベルだが、この体調ではほとんど仕事にならなかった。急ぎと思えるメールに返事を入れるのが関の山であった。

 

9月8日 水曜日

 絶対にこのままでは治らないと確信した。足は嫌な紫色で、ムクミは足裏から、脛にかけて酷く、くるぶしなどどこにあるのか分からない程だ。足首も曲がらなくなってしまった。
 三度チェンマイ大学付属病院で診察を受ける。もう、一人では身動きもできない状態になってしまったため、うまれてはじめて車椅子に乗せられる。
 「これは酷過ぎる」とお医者さんは言った。そして即刻入院が決定された。正直なところ、病院へ入院するなど初めての経験である。保険にも入っていないし、支払いが心配である。看護婦さんが「どんな部屋にしますか」と言うので、「特別室、、いや、特別に安い部屋をお願いします」と依頼する。
 あてがわれたのは、12人用の大衆用だが、もともとが付属病院の中でも、特別サービス病棟なので、各ベッドはきちんと壁と扉で仕切られて、100%近くプライバシーが保たれている。これで1日1050バーツだそうだ。トイレなどは共同。私の部屋には窓もない。
 午後から、本格的な検査が始まって、注射を打たれたり、採血されたり、尿やレントゲン検査したりと、慌しい。お医者さんも、今まで見てくれていた内科の女医さんも休みのところを私服でかけつけてきてくれて、皮膚科などの何人もの先生が対応してくれた。

 

9月9日 木曜日

 昨夜はほとんど眠れなかった。全身が痒いので、深夜に看護婦さんにカユミ止めの注射を打ってもらって何とかなったが、ベッドの寝心地が悪いのには閉口した。さらに、これでは入院患者が全員風邪を引くのではないかと心配になるくらいエアコンを効かせている。設定温度は15度だ。私は寒くて薄いタオルケットに包まって震え続けた。大部屋の良くない点は、私一人が寒いと言ってもエアコンを止めてくれない事だろう。
 眠れないまま、朝になったが、朝の検診は6時から始まり寝不足をぼやいていられない。午前中にはK.K.の経営者が見舞いに来てくれた。花や果物と言った手土産はなかったが、仕事に関する相談事はどっさりと持ってきてくれた。お母さんと優泰も来て、本を10冊ほど置いていってくれた。
 この日の食事関係だが、次のようなものだった。
 07:30 朝食 豚肉のお粥、ブルーベリー味のヨーグルトドリンク
 11:45 昼食 米飯 タイ風カレー汁 豚の干し肉 豆腐のスープ バナナのココナツミルク煮込み
     間食 カップケーキ 麦芽飲料
 16:30 夕食 米飯 ゲーンハンレー(北タイ式豚のカレー煮込み) 干した小魚 タピオカのココナツミルク
 入院費には食事代が含まれているし、まぁ贅沢も言えないが、全体的に肉が多く、野菜が少ない。そしてデザートはとても甘いので、私の感覚からすると栄養バランスに問題があるような気がする。

 

9月10日 金曜日

 やっぱり昨夜もほとんど眠れなかった。明け方まで本を読んで身体のカユミや寝心地の悪さ、そして寒さに耐えていたのだが、それでもちょとウトウトしかけたかなぁと思った6時には起床である。
 お医者さんが、「そろそろ退院したいですか」と聞いてきたので、すぐにでもと答えた。実際身体のムクミはほとんど取れてきた。それが証拠に、入院時82キロにまでなっていた体重も、75キロにまで減ってきた。たったの3日で7キロの減量である。希望としてはあと5キロ減ると理想的なのだが、、。
 昼ご飯を食べた後で、退院許可が出た。この3日の入院生活、何度もの検査を受けたり、アレコレと薬を飲まされたり、注射を打たれたりしたが、本格的な治療を受けたような気がしない。この病気についても詳しい説明は無く、なんだか特別に入院しなくても、通院で十分だったのではないかと思えてくる。でも、女医さんは勤務日でない日も、朝晩訪ねてきて様子を見てくれたり、とても親切であった。
 退院にあたり、手持ちのお金が全然足りなかったが、キャッシュカードのクレジットを使って払うことができた。入院費そのものよりも、検査費用がやたらと高かった。しかし、その検査結果がどうであったとは、知らせを受けていないのだが、、。
 午後からK.K.トラベルに少し顔を出して、滞っていた業務を少しこなす。

 

9月11日 土曜日

 帰宅したら良く眠れるかと思っていたが、やはり夜眠れない。明け方になってからウトウトし始める。自宅だし6時に起こされることはないが、土曜日なので補習校へ優泰を連れて行かなくてはならない。そして、優泰が補習校で勉強している間、K.K.トラベルに入って業務をこなす。体調はだいぶ回復したが、まだ立っていると足がすぐムクミ、紫色に変色する。これは長時間座っていても、同じである。それから、全身から日焼け後のように皮が剥け始めた。これがあまり見られたものではない。日焼けのように健康的な肌の色をしているのではなく、不健康色合いで、しかも皮がポロポロと剥けていると言うのは、まるで皮膚病である。手の甲もビリビリ、ポロポロで汚らしい。カウンターでお客さんに見られるのが恥ずかしい。
 午後に帰宅して、バテバテに疲れので昼寝をはじめたら、夜8時近くまで寝てしまった。しかし、これで体調はだいぶ回復してきた。

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