先月に引き続き、今月もメーサイ詣でのツアーに添乗する。前回は雨に降り込められてしまったし、チェンダオの洞窟も不評であった。名誉挽回と、再挑戦である。バンの運転手、キット君が新しく買ったと言うハイルーフのバンでチェンマイを出発。今回はチェンダオに行かないので、チェンライ街道をチェンライ方面へ直行する。今回は良い天気だとイイのになぁと思っていたのに、チェンライ手前のメースアイのあたりから酷い豪雨に見まわれてしまった。なんだ今回も雨の中のメーサイ詣でかぁと諦めかけたが、チェンライを過ぎたあたりから良い天気になってきた。
はじめにメーファールアン庭園を見学。いつ来ても素晴らしい庭園である。見事である。キレイである。最高である。しかし、正直なところ、それだけで、回遊するように一回りしてしまうと、もう何もすることはなく出口に向かうことになってしまう。これで植物に関する知識や関心が高ければ、きっと何時間でも居たくなるところだろうが、私は花より団子で、昼前の時刻と言うこともあり、たかだか30分ほどで庭園から出てしまった。中国人の団体観光客が多数来ていて、園内で騒がしく写真を撮り合っていた。
本日の昼食もワントンホテル。何度も来ているので、ここの受付の係りに顔と名前を覚えられてしまった。まぁ、私は珍しいくらいの長身であるから、与える印象も強烈なのかもしれない。ここでも欧米のツアー客と中国系の団体客と一緒になった。私たちはバイキング台に近い丸テーブルで食べていたのだが、後ろで日本語らしき声が聞こえる。しかし、日本人の話す日本語ではない。良くこの地の日本語ガイドさんが話すタイ語のようです。「大丈夫、ナニタベテモ、イイカラ、ナンデモ食ベル」と70歳くらいの中国系の男性が言っている。日本人ツアーでも来ているのかなぁと思ったら、そうではないようだ。中国系の団体観光客のメンバーのようたが、小学生くらいの子供に言っている。しかし、なぜ日本語?と思っていたら、どうやらこの団体客台湾人のツアーらしい。そう、この爺さん、ツアー客の子供に日本語で「さぁどんどん食べろよ」と言っているのではなく、私たちが日本人であることを意識して、わざと日本語を使っているのだろう。この手の経験は昔良く台湾でしたもである。直接日本語で話しかけられないので、相手から気が付いて欲しい、と言うサインである。昔台湾でよく経験したのは、年配の男性が近づいてきて、別に私に話しかけるではないのに、日本語で何かブツブツ言ったり、突然日本の古い歌や唱歌を歌ったりするのである。そして、こちらから声をかけると凄く嬉しそうな表情をするのである。台湾にはまだこうした日本を懐かしむ人たちがいるのだなぁと感じたが、今は私も仕事中のため、このサインに応えてあげる事ができなかった。
タチレクの街の観光も、もう何度もしていて、これと言って案内したいところがない。ハエのようにたかってくる観光案内人の一人を捕まえて、「どこかいつもと違うところへ案内しろよ」と言ったら、タイヤイ族の寺だと言って、大きな寺院へ連れていってくれた。しかし、タイヤイの寺院と言ってもタイの寺院と大差がない。それにこの寺院の住職とは面識がある。コーバー師と言って、このあたりで絶大な力を持つ僧侶である。私が「ここはコーバー師の寺だろ、住職とは面識がある」と案内人に言ったら、案内人は仰天していた。
次にアカ族の村へ案内された。タチレクの村外れにあるただの貧しい住宅地のような場所で、私のイメージにある山岳民としてのアカ族のイメージと大きく異なる。誰も民族衣装など着ていない。しかし、集落の中心には教会があり、アカ族の教会であると英語でも書かれていた。1軒の民家の庭先に入って見学をしたが、爺さんが精米をしていた。そして「女房に逃げられて、一人で仕事をしているんだ」と言った。そんなこと私に言ってどうなると言うわけでもないだろうが、挨拶代わりに、誰にでも同じ事を言っているのかもしれない。
今回もメコン川を渡り、ラオスへ上陸し、チェンマイへ戻ったが、今回は早く帰りたいと思っていたのに、チェンマイへたどり着いたのは11時過ぎになってしまった。運転手のキット君は毎度文句も言わず16時間もハンドルを握ってくれる頼もしいパートナーである。今回は彼が新しい車を買ったこともあり、ご祝儀を含めてチップを少し弾んだ。次回はどこかで1泊のツアーにしたいものである。
朝食 |
ご飯と目玉焼き、味噌汁。 |
昼食 |
ワントンホテルのバイキング。 |
夕食 |
|