今朝も小鳥のピョンの鳴き声で目を覚ます。優泰が夏休み中で、私は送り迎えの業務が無いので、今までよりも朝はゆっくりである。そして、ピョンと遊ぶ時間も多少できる。実の子供の優泰とめったに遊んでやらないのに、ピョンとは毎朝のように遊んでいる。もっとも、優泰も巻き込んで遊んでいるので、優泰とも遊んでいることになるのかな。が、お母さんはあまり良い顔をしていない。「お父さんはピョンが好きかもしれないけど、私はそんなに好きじゃないの。それなのにピョンのことで仕事がふえたんだからね」と言う。私はヒナを守る親鳥の心境で、じっと小言に耐えるのみである。
午前中に「来週末メーホンソンへグループで行くけどどうしたら安い切符が手に入るだろうか」と言う相談を受けた。タイ航空の独占路線であり、この区間で割り引き切符など聞いたことが無い。それよりも、このメーホンソン線、以前はジェット着が比較的頻繁に飛んでいたのに、今ではプロペラ機が日に3便飛んでいるに過ぎない。予約の取りにくい路線になっている。安いの高いのと言っている状況ではなく、すぐに予約をしないと間に合わない。そして、確認してみると、やはり希望の午前便は既に満席であった。しかも、希望は15席以上の確保である。通常のコンピューター予約ではなく、タイ航空の団体営業に掛け合い、なんとか午後の便に席を確保する。そして、オマケのように、15名の団体の場合、16人目は無料との情報を得る。日本なら国内線の団体料金は、最低でも普通運賃の10%引きと言う特典があったと記憶しているが、タイではそのような特典など一切無いそうである。まだまだ航空機を使った国内団体旅行が成熟していない証拠であろうか?
昼前後に、ワタノーでの授業。4年生のクラスと3年生のクラスを比較して、ある問題点に気がついた。4年生は日本語クラスで、毎日日本語の授業がある。そのためか、どうも日本語の授業に食傷している感じがある。やっと平仮名やカタカナの読み書きができる程度にまで来たのに、もう「うんざり」と言った色が顔に出ている。担任のパッチャー先生も「もぅ、疲れました」と言う。大変不味い状態である。今日は助詞の「の」の使い方を教えたのだが、正直なところ、週に1時間の3年生よりも理解度が低い。わからないと言うよりも、授業積極的に参加しようと言う意思が弱まっているようである。これは早いところ何とか手を打たないと、今後大学受験まで日本語と取り組まなくては行けない生徒たちが総崩れになりかねない。ラチャパット大を出ても経験の無いパッチャー先生に他の時間を任せておくのは荷が重過ぎるような気がする。何か良い対策を講じなくては、、、。
一方の3年生は、嬉々として授業に参加してくれる。声を出して黒板の短文を読ませても元気がある。本当のところ、こうした生徒たちと授業をやっていると私も楽しい。彼らも次々に単語を覚えてくれるし、「これをなんて言うのか」と質問してきてくれる。私も楽しい。が、楽しみながら学ぶ日本語に対して、カリキュラムをこなしながら大学受験を目指す授業には私やパッチャー先生では役不足で、やはり専門の資格と経験のある先生に来て指導していただかないと、無理なのだろうか?あぁ、困ったなぁ。
K.K.トラベルの住み込みのミャンマーからの出稼ぎメイドに関して、K.K.トラベルのスタッフは誰も失踪の理由をはっきり教えてくれない。本当に知らないのかもしれないし、私に言うのをはばかっているのかもしれないが、「突然いなくなった」としか教えてくれない。パスポートを持たない彼女が、雇い主の元を離れたら、もう不法滞在になるはずである。行き場所などあるのだろうか?それとも、それとも、そんな危険を犯してまで、ここに居たくないことでも起きたのだろうか?
そして、非常に不思議なことなのだが、彼女の代わりのメイドはもう既に来ているのである。たぶん、前の彼女が失踪した翌日くらいには来ていたのではないかと思えるような段取りの良さである。いったいどのようなルートで彼女たちが雇われてくるのか不思議である。新しいメイドはKと言うそうで、歳を聞いたらまだ16歳だと言う。「出身はどこか」と聞いたらきちんと答えないところを見ると、やはりミャンマー出身なのだろう。私がワタノーで教えている生徒たちとほぼ同じ年頃であり、タイとミャンマーの境遇の違いを感じてしまう。
新しいメードに変わってから、毎朝の私へのモーニング・コーヒーのサービスが無くなってしまった。コーヒーだけではなく、日中も常に私のデスクには氷水を用意してもらえていたのだが、それが今では自分で冷蔵庫に冷やした水をコップに注いで飲まなくてはならなくなった。
明日からの出張に備えて、デスクワークをしていたら、今晩も帰りが10時を回ってしまった。明日は5時半起きである。