午前中に、K.K.トラベルやお客さんから何本かの電話が入り、メールの送受信をしているうちに、昨日申し込んだツアーの出発時間になる。このツアーの出発時間は11:15であるが、昼食は組みこまれていない。また、どこか途中で食事休憩を取るわけでもない。つまり、ツアー出発前に食事を済ませるか、何か食べるものを持ち込む他無い。
ツアーはプーケット島の北にある景勝地パンガー湾を見学するもので、パンガーまではワゴン車で向かう。乗り込んでいるのは、我々6人以外に西洋人の若い女性2人。ガイドさんによると、今回のツアーはもう1台ワゴン車があって、総勢15人になるそうである。パンガーまでの道路は良く整備されており、走るワゴンの中で、さきイカや柿の種などをポリポリ食べながら約90分でパンガーの船乗り場に到着。もう1台のワゴン車の乗客たちとはここで合流した。もう1台はアラブとインドの連合軍で、オマーン出身の男性3人グループ、国籍不明のちょっと暗いアラブ系カップル、そして熟年のインド人夫妻。
ルアハンヤオと呼ばれる笹の葉のような形をした船外機付きのボートに乗って、マングローブの続く入り江を進む。だいぶ以前にもパンガー湾の観光をしたことがあるが、当時は、もっともっと狭い川のようなところを迷路のようなマングローブの森を縫うようにして海上に出た記憶があるが、今回はいきなり入り江であった。
イスラムの海上部落に近づいたあたりで雨になってしまった。この船には、簡単な屋根はあるものの、吹きつける風雨を防いでくれる壁面は無い。船頭さんが簡単な雨合羽を配ってくれたが、だいぶクタビレタ合羽で、あちこちほつれている。そして、海水の腐ったような臭い匂いがして、着るのがためらわれたが、雨は激しく、着ないわけには行かない。
ある小島の近くで、カヌー風のゴムボートに乗り換えて、小島の岩礁部にいくつもある洞窟に潜る。ちょうど雨も上がり、なかなか都合が良い。このボート、乗客2人に対して、こぎ手が一人ついて、パドルでこいでくれる。洞窟と言っても、小さなトンネルのようなもので、小さい穴は、身体をボートに伏せるようにしないとくぐれない。岩礁には無数のカキが貼り付いていた。トンネルをくぐると、ちょっと広い空間があったりして、海賊たちが隠れるには好都合な地形である。
ジェームスボンド島へも立ち寄ったが、ここの土産物売りたちは、片言の韓国語を話し、大変売りこみに熱心である。義姉たちもよせば良いのに冷やかしたりするものだから、かっこうのカモになって取り囲まれている。そのうち、団体の韓国人ツアー客を満載した船が何隻か到着し、売り子たちも分散していった。ここで売っているものは、貝殻細工や真珠類だが、貝殻細工ならまだしも、真珠など、こんな粗末な小屋がけ土産物売り場で買う人の気が知れないと思ったが、結構売れているようだ。
ホテルに戻ったのは夜7時過ぎ。お母さんが持参したガイドブックに「お薦めのレストラン」として紹介されていたロイヤル・キッチンと言う中華料理屋へ行ってみた。これはあまり正解ではなかった。ホテルから軽トラック・タクシーに乗ったのだが、1キロ少々の距離に100バーツと言う。ずいぶん高いことを言うなぁと思ったが、流しのタクシーは走っておらず、仕方なく乗り込む。レストランは高層ホテルの最上階にあった。ところが、このトラック・タクシーの運転手までくっついてくる。案内をするでもないのに、何の為についてくるのだろうと思っていたら、レストランから「紹介料」をもらいについて来たようであった。レジ係から、「食事の会計が終わってから」と言われていたが、なるほど、ここはその手のレストランだったのか。たぶん、団体のツアー客目当てのレストランで、斡旋業者にコミッションを出すようなレストランなのだろう。メニューにはちゃんと日本語も記載されている。日本人ツアーも来るのだろう。料理は広東風のメニューが中心。そして、高い。飲み物も高い。シンハ・ビールが1本160バーツ。しかも、税金(7%)とサービス料(10%)が加算されるとなっている。コーラも缶であるにも拘わらず60バーツの税サ別々、水も40バーツとなっている。団体客を取り扱う旅行会社が斡旋するレストランでありがちな価格である。そこへ個人客であるにも拘わらず飛びこんでしまったのだから、困ったものである。味そのものは悪くなかったが、最後の会計は、チェンマイでの1ヶ月分の食費に相当するくらいの金額の伝票を受け取る羽目になった。軽トラック・タクシーの運転手の喜ぶ顔が目に浮かぶ。知らない土地で、ガイドブックの推薦するところに立ち入るのが間違っていたのだろう。