旧チェンマイ通信のページへようこそ。 (2001年から2004年まで、3年半の記録)

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私のラビットスクーターとはこんなスクーターです。

上の2枚
リボンタイヤを履いた青ラビットです。 製造から既に三十数年。乗り始めてからももうじき二十年を迎えるわが青春の友です。 まだまだ現役。万年青年です。私もそう心がけたいと思っています。

右の1枚
2002年2月10日、第1回ラビットの日が開催される。小雪ちらつく陣馬屋まの山にラビットが集合。

左の1枚
トルコンの赤ラビットです。 エンジン音が静かで滑らかな走りが自慢です。

そもそもラビットスクーターとは、戦前の航空機メーカーであった中島飛行機が、戦後平和産業への転換を機に富士重工(現・スバル)としてこのスクーターを作り始めたものです。当時は同様に三菱重工もシルバーピジョンと言うスクーターを作っていた。ラビットスクーターは昭和の40年代前半まで、大量に生産されてきましたが、後発のホンダ・スーパーカブに押され、また会社の方針で製造中止されてしまいました。しかし、頑丈でシンプルな構造のため、現在でも多数のラビットスクーターが日本中を走りまわっています。


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(2015年5月からのブログ)

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