5月29日 水曜日
天気は雨 ときどき曇り
朝からどんよりとした天気だ。雲が厚く垂れ込めている。ドイステープの山も雲に隠れている。
さて、お母さんの入院の日だ。約束の10時を少し回ってラム病院へ到着。いくつかの手続きをして407号室に入る。この病室は2人部屋である。窓からはチェンマイの堀が見える。昨年入院した病室とは反対向きの部屋である。部屋にはシャワー室とトイレも付いているから、日本の一般的な病室よりも快適であろう。入院代は1日550バーツ。これ以外に看護婦代と食事代を合わせると入院費は1日1000バーツ少々となるそうだ。
お母さんを病室のベッドに寝かせ、点滴を打ってもらう。まだ健康体であるお母さんに、なぜ点滴なのかは良くわからないが、とにかく、この病院は入院中はほとんど常に点滴を打ち続けてくれている。一説によると、「点滴注射が病院として利益が大きいからだ」と聞いた事がある。手術は12時半からだそうだ。
お母さんを休ませて、私はイミグレーションへ行く。優泰のビザに関して、滞在許可の延長申請に行く。ずいぶん沢山のコピーを提出させられる。が、これで滞在延長申請は受理してもらえた。許可が下りるかどうかはまだ確かではないが、書類上での不備は特に何も指摘されなかった。たぶんこれで優泰については1年間の滞在許可が下りるだろう。イミグレーションでは審査しなければ案件が山積みになってしまっているので、パスポートの返却は明後日の金曜日になるという。
私もお母さんもあと3週間ほどで滞在許可が切れてしまう。イミグレーションで担当してくれた40歳代とおぼしき女性官吏は、カーキ色の制服を着て、威厳を漂わせているが、対応は親切であった。そこで、私たちの滞在延長をどうしたら良いかを相談してみる。
そうしたら、滞在延長は21日間の1回だけしか認められないと言う。費用は500バーツと言う。さもなければ、出国して大使館などでビザを取り直してこなくては行けないと言う。お母さんは韓国籍なので、ビザなど無くても90日間の滞在が出来る。私もいったん近くのメーサイのビルマ国境から出国して、再入国すれば、方便として30日間の滞在許可が得られる。しかし、そのメーサイの国境も泰緬国境紛争の影響で先週から閉鎖されてしまっている。やはり、2人分で1000バーツの大枚を叩いて21日間の滞在延長許可を取らなくてはダメなのかなぁ、、。係官は、子供の保護者であれば、保護者の資格で1年間の滞在許可を出す方法もあると言う。必要なのはタイ国内での80万バーツ以上の預金証明だそうだ。とても魅力的ではあるが、いま現在タイの銀行には80万どころか8万バーツだって置いていないし、小切手や現金をかき集めてもその半分くらいにしかならないだろう。日本の定期預金を崩してタイへ送金すべきだろうか、、。
お母さんは12時半に手術室に入った。事前の説明では1時間ほどで手術が終わると聞いていたが、1時半になっても手術室から出てこない。お母さんの手術が終わってから食事に行こうと考えていたが、2時になってもまだ出てこない。2時半になって私は病院内の食堂へ入って簡単に食事を済ませた。ご飯にオカズ2品で35バーツ。特別高くもないが、安くもないといった金額だろうか、、。
3時半になっても出てこない。看護婦さんに聞くと、4時頃に出てくるらしい。しか、そろそろ優泰が学校から帰ってくる時間だ。お母さんのことは気になるがアパートへ戻ることにする。外は土砂降りの雨が降っている。
優泰は今日は宿題が無かったという。「本当に無かったのか?」と確認すると「えーちょっとワカンナイナぁ」なんて言う。しかし、カバンの中には宿題のプリントもなにも入っていないから、仮に宿題が出されていたとしても、やらせようが無い。宿題をしない代わりに算数の練習問題をさせる。足し算と引き算。英語については今の学校へ通って当然ながら進歩が見られる。しかし、こと算数については、進歩しているとは思えない。いまだに足し算引き算は両手の指を折らなければ数えられない。去年、タイの幼稚園に通っていた頃は、2ケタの足し算や引き算もやってのけていたのだから、これは後退していると言えるだろうか。2ケタの計算の仕方は、縦に数字を並べて、後ろから1桁ずつ計算するのだと教えたが、たった1日では覚えきれないようだ。アメリカ人たちが計算に弱いわけがようやくわかったような気もする。もうすぐ優泰はこちらで2年生になるのだが、日本であったら2年生は100の位の数も教わるだろうし、掛け算だって始まる頃じゃないだろうか、、。指折り計算じゃ10以上の計算が出来ないことを悟って欲しいものだ。
朝食
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ご飯に炒り玉子、ワカメと豆腐の味噌汁。 |
昼食
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ラム病院の食堂でタケノコのカレー煮こみとインゲンと挽肉炒めを食べる。 |
夕食
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優泰と久しぶりに豚鍋を食べに行く。 |
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