8月25日 日曜日
天気は晴れ
Tたちと今朝は8時に私の泊まっているバンガローで待ち合わせをしていた。しかし、昨晩は夕食に30分遅刻してきたのに、今朝は1時間たっても姿を見せない。9時過ぎになっても来なければ電話1本も入ってこないので、もう付き合いきれないと1人で朝食を食べに出かけることにした。ブルーホライズンと言う食堂で、お母さんとの新婚旅行当時に何度か食事をしたことのある簡素ながら眺めの良い食堂である。この店は当時とあまり変っていないように思える。周囲に似たような店も増えたようではあるが、、、。席につくとメニューが配られた。英語で書かれているが、書かれている内容は全て朝食で、洋風のものばかりである。タイ式のものはないかと所望したら、朝はやっていないとツレナイ返事。そしてメニューに書かれている料金も結構高い。アメリカンブレックファストで110バーツだそうだ。メニューを仔細に眺めて、これくらいかなぁとあたりをつけたのがタイ式のお粥である。これとてサービス料まで含めて60バーツになるのだから、随分とイイ金額だ。でも、味は良かった。具にはイカ、海老、鶏肉などがたっぶり入っていてとても美味しかった。
10時頃になってようやくTたちと連絡がついて落ち合うことができ、一緒に午前中いっぱいをチャウェングビーチで過ごす。彼らは「こっちのビーチの方がキレイ」とか言いながら、水に入るとチクチクと痛いからと言って、ほとんど泳ぐことをしなかった。確かに今日は少し曇っていて、クラゲの子供でも浮いているのか、泳いでいると手や足にチクチクと電気が走る。
昼食もビーチで天秤棒を担いだ行商のおばさんからソムタム(未成熟パパイヤの和え物)やガイヤーン(ヤキトリ)などを取り寄せて食べる。しかし、外国人の多いビーチだからか、ソムタムには唐辛子の1本すら入っていないようで、ちっとも辛くなく、甘酸っぱい味で、シマリがなく感じられたが、Tたちにはこの方が好評のようであった。
2時過ぎにTたちと別れ、ナトンの町の桟橋へ向かう。帰りのバスはちょっとケチって400バーツで船賃込みと言うものを買った。スラタニと言う町までオンボロバスとフェリーを乗り継いでいくのだが、ここでもオンボロバスは200メートルほどの距離を客を乗せて走っただけでフェリーに積み込まれる。その航送の無駄を省けば、切符代など持つと安くできそうに思うのだが、、。安い切符を買って一番の心配は、隣にでっぷりと太った西洋人が座るのではないかと言う恐怖である。狭いバスの中で、彼らと隣り合わせたら最悪である。暑苦しいし、体臭が鼻につく。で、その恐れはオンボロバスで発生した。指定された54番の席の隣には100キロ級の白人女性が、3人かけの席に二人で狭そうに座っている。そこへ詰めてもらって私の席を確保するのは、苦痛であった。わずかにできた座席のスペースに片尻を乗せて、もう半分の尻は通路上で中に浮いている。エアコンのないバスが窓が開いているので、体臭に苦しめられることだけは免除された。
戻りの船も日本の中古フェリーで、こちらの方が随分古そうだ。旧船名は「大隈」。行きも帰りも九州に縁のある船だ。しかし、古いのもそのはずで、船室内に残るポスターには「エキスポ75、沖縄海洋博記念マッチ印刷受けたまわります」なんてのが貼られたままになっていた。
安い切符だけあり、バンコク行きのバスの出るスラタニの町までは、先ほどのオンボロバスで向かわなくてはならない。ところが、乗り込むのに大騒ぎになった。乗客の大半が若い白人観光客なのだが、何と彼らは座席指定の切符を持ち合わせていない。それにもかかわらずテンでの席について動かない。中には切符そのものさえ持たない無賃乗車組までいる。車掌が声を限りに叫んでも鼻で笑っているだけである。まったく不愉快な連中だ。彼らのためにバスの狭い通路までギッシリと人が立つこととなった。
スラタニからバンコクへのバスも白人たちで気分が悪くなった。彼らはまるで座席指定を無視して好き勝手に陣取っている。スナック菓子の空き袋や空き缶は通路に散らかしたままにするし、夜中になって消灯しても、話し声を低くもしない。中には変な奇声を上げる連中もいる。まったく移動動物園の小屋にでも乗せられているような気分だった。まぁ指定席が無視されたおかげで、ドイツ語で書かれた本を読む東洋人の隣に座って、臭い連中の隣で悩まされずに済んだ。不幸中の幸いか、、。でも、もうこうしたバックパッカー御用達のツアーバスに乗るのはやめようと思った。
朝食
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ブルーホライズンという見晴らしの良い高台に建つ食堂でお粥を食べる。 |
昼食
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チャウェングビーチで焼鳥や青パパイヤサラダのソムタムなどを食べる。 |
夕食
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スラタニの町の屋台でパッタイ(タイ式ヤキソバ)を食べる。やたらと甘ったるかった。 |
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