2月23日 日曜日
天気は晴れ
ほぼ通常に近い形で日常生活ができるところまで回復してきた。熱も下がっている。体の自由を取り戻したとたんに忙しくなってしまう。4日間も寝込んでしまってたし、やるべき仕事も寝込む前から貯めこんでしまっていた。
午前中、Isさんから連絡が入る。先月借りたレンタカーの契約が満了したのでレンタカー会社が車を引き上げに来たと言う。そこで引き続き借りていたいのだが、値引きをしてほしいらしい。しかし、言葉が通じないから助けてほしいと言うのが、私へ連絡してきた主旨らしい。Isさんの部屋へ言って、私が交渉に当たるが、レンタカー会社から派遣されてきている人物は車の引き取りに来ただけの人物で、まるで何も権限を持っていない。レンタカー会社へ電話をしてマネージャーと交渉をするがまるで妥協点が見出せない。こうなったらば、こちらから直接乗り込んで行って、直談判するしかない。
午後2時にレンタカー会社に乗り込んで、交渉開始。もともとが1日1500バーツの車を一ヶ月で24750バーツに値引きしているのだから、もう半額近い値引きをしていると言うのが会社側の言い分であった。色々と切り口を変えながら、こちらが財布を握っていると言う強みから、攻めでの交渉を主流に、ときどき担当のちょっと太目の女性と冗談などを交えたりして、一時間半ほど話し合い、今後さらに二ヶ月間借りると言うことにして、特別に二割引、一ヶ月20,000バーツで交渉が成立する。レンタカー会社でIsさんのところへ集金に行き、集金が完了するまで私が人質になることになった。レンタカー会社で缶詰になっている間、会社内の修理工場を借りてビートルの部品交換などを行なう。車体下のギアボックスから車軸とを結ぶ箇所に付けられたゴム製品を交換するのである。車体を持ち上げなくてはいけない作業なので、一人ではできない作業だが、ここでは大きな機械類や工員たちが手伝ってくれる。この作業に約一時間ほどかかり、集金も完了したようなので、私も解放された。
アパートに戻ると、16階に住むHzさんが日本へ引き上げることになったから、プリンターをくれると言う。Hzさんは昨年の11月にチェンマイへ移り住まれたばかりだし、「今度もう少し広い部屋へ移って、日本からカミサンを呼び寄せたい」などと言っていたのに、どうしたことだろう。このアパートに住む単身男性の中では大変真面目で、好感の持てる人であったのに、とても残念である。3月10日には帰国してしまうそうで、これから残りの時間で、旅行でもしたいと言っていたが、、。
夕食には、日本から2ヵ月ぶり来たOnさんと食事に出る。食事はルグランランナで食べたから問題なし、引き続きサイモンキャバレーでショーを見るが、これも華やかなショーであったので、及第点。私も体調を持ち直し、久しぶりにビールを飲めたので、気も大きくなり、三次会と称して、お母さんが以前よく行っていたゲイバーの店が並ぶあたりへ行ってみた。そこは何軒も似たような店が並んでいて、いったいどこの店がお母さんのお気に入りだったのか分からないので、適当に飛び込んでみたら、これが大失敗であった。チェンマイにはバービアと呼ばれる風俗系の飲食店があり、ビキニ姿の女の子が、小さなステージで腰をくねらせながら踊っているような店なのだが、飛び込んでしまった店は、女の子ではなく、男の子が、ズボンを脱いでブリーフパンツ姿で踊っているような店であった。客はと言うと、中年過ぎの西洋人男性ばかりである。変なものを見てしまった。お母さんからの情報では、ゲイバーではレディーボーイたちが、コミカルなショーを見せてくれると言っていたのに、、、。ビールを一本飲んで、そそくさと退散する。知ったかぶりして、知らない店へ人を案内するのは、もうやめよう。
店を変えて地元の人たちが入るような簡易食堂風のカラオケ屋が深夜過ぎなのに営業していたので、そこへ飛び込み、飲み直しをする。やる気があるのかないのか分からない店で、壁にはバスケットボール選手のポスターなんかが張ってある。しかし、私にはやはりこの手の健全な店のほうが性にあっているようだ。Onさんも同感のようであった。お開きになったのは、午前一時過ぎ、病み上がり第1日目にして、延々6時間もビールを飲んでいたことになる。「やるべきことが溜まっている」が聞いて呆れる無責任。
朝食
|
日本そば。 |
昼食
|
クーポン食堂にてお粥に塩玉子の和え物。 |
夕食
|
ルグランランナにて北タイ料理。 |
前日へ 翌日へ
|