8月23日 金曜日 天気は曇り 夜明け前から雨 昼からは晴れ
夜明け前から雨が降りしきっている。降り方も本格的、集中豪雨と言った感じである。さて、今日は長いバス旅だ。毎度タイへ遊びに来るTカップルに託して日本から私の貯金を持って来てもらっている。これを受取りに出かけるのだが、今回のTたちのスケジュールではチェンマイに立ち寄らない。ずっとサムイ島へ行っているのである。サムイ島へはチェンマイからバンコク航空を乗り継いで約4時間で到着できる。しかし、乗り継ぎ割り引き格安運賃でも片道4000バーツを超える出費になる。財政状態が悪い私にはそれ程の出費に耐えられない。失業者には時間よりお金が大事なので、もっとも安く行ける方法として、バスで行くことにした。単純計算で28時間かかる長旅である。
いつものアーケード・バスターミナルに向かうにあたり、優泰の学校へ行くバンに便乗させてもらう。別に学校に用事があるわけではないが、バンの車内がどんな状態か興味もあった。今日は特別学校へ行く子供たちが少ないのか、乗せた子供は優泰を含めてたった2人である。もう1人の子供は4年生で隣のヒルサイドコンドに住む台湾の子供であった。夏休み前は10人もの子どもたちで満員だったバスも、休みが明けると子供たちはほかのインターナショナルスクールへ転校してしまったり、転居してしまったりで、3、4人しかいなくなってしまったと言う。バンの運転手さんも「これじゃ赤字だ」とぼやいていた。そりゃそうだろう。それと、優泰にとってもバンの中に同世代の子供たちが乗り合わせていれば楽しいだろうに、やはり何人かバンに乗ってくれそうな子供を探すのにヒトハダ脱いでやるべきかもしれない。
向かえに回る子供がいないので学校には7時10分には到着してしまった。まだ、登校している子供たちも少なかった。しばらく校内で優泰と遊んで、登校してくる子供たちが増えるのを待った。
優泰の学校からアーケードバスターミナルまでは距離にして1キロちょっとほどである。普段なら歩いてしまう距離だが、今日は大雨で、私は傘も持っていない。隣のプリンスロイヤル学校の校内を濡れながら突っ切って、大通りに出て乗合トラックを拾おうと思った。しかし、通学通勤時間帯のためか、乗合トラックはまるでやって来ない。しばらく待っていたらバイクタクシーが止まった。バスターミナルまで10バーツでもイイと言うので、つい乗ってしまったが、大雨の日にバイクタクシーに乗るのは無謀であった。バスターミナルに到着した時は全身ずぶ濡れで、シャツから水滴が滴るほどであった。こんな天気にバイクタクシーに乗る私がバカだが、こんな天気でも営業しているバイクタクシーもどうかしている。それとも、チェンマイには私のようなのも案外いるのだろうか?
7時半発のバンコク行きソンバットツアーのバスに乗る。乗車率はあまり良くなく、6割くらいだろうか、空席も目立つ。朝からバンコク行きのバスに乗るのは初めてだったような気がする。車内ではビデオ映画2本上映され、途中のドライブインで食事が出て、バンコクには5時半に到着。バスの中では、近藤紘一の「バンコクの妻と娘」を読んでいた。近藤紘一はベトナム戦争中に新聞社のサイゴン特派員をしており、その時に知り合い結婚した女性が、ここに登場する「妻」であり、その連れ子が「娘」である。近藤はソイゴンから妻子を連れて日本に戻って4年、再びバンコク特派員としてバンコクへ赴任してくるのだが、娘の学校の事でとても悩んでいる。サイゴンから日本に連れかえった娘を日本の教育環境に放り込む事に疑問を感じ、東京のフレンチスクールへ通わせ、娘もそこの環境に慣れ、毎日を楽しく過ごしていたのだが、転任先のバンコクにはフレンチスクールが無い。結局、東京のフレンチスクールの寄宿舎に残してくる事にしたのだが、もともとフランス語を母国語としていない娘は進級の事についても問題を抱えていたりで、近藤の悩みは尽きないのである。血のつながった父娘ではないが、実の父親以上の愛情で娘の事を案じている。
この本を読みながら、私は自分の立場に置き換えて考えてみる。優泰も似たような境遇にあるのではないかと、、。私がチェンマイで暮らしたいと考えた要因の一つとして、優泰の人格形成と言っては大げさだが、物事の考え方や、環境適用能力について、東京で普通に暮らしているよりも、チェンマイに来て、日本とは違った環境が世の中にはあるということを、
子供の時から叩き込んでおきたかった。そして、違った環境であっても、自分は大丈夫なんだと言った自信を付けさせてやりたかった。
先日、お母さんの友人で、東京でやはり日本人と結婚した韓国人女性の話しを聞いた。お嬢さんがいて、成績優秀で私立の有名女子校に通っている。そして、将来はアナウンサーになりたいという。でも、日本社会では、親が韓国籍だと、就職に不利ではないかと考えて、日本国籍へ切り替えようかと考えているそうだ。もし、我が家でも同じ事態に陥った場合、、最も優泰は「成績優秀」と言うこととは程遠いが、、、お母さんが日本国籍を取ろうとしたら、私は反対するだろう。
日本国籍を取ったところで、血は変らないのである。日本人に成りすましたふりか、書類上日本人になったに過ぎない。そして、親の国籍云々で、差別が存在するような就職先など、入ったって碌なことがないと考える。
そう言う私も中学校、高校時代を振り返ってみると、同じような経験をしていたような気もする。私は両親の離婚で母子家庭で育った。母親に育てられたが、戸籍は父の元に置かれていた。よく学校で保護者宛の書類を配る際に、書類の表には保護者の名前がかかれていて、先生が「なんだぁクラスに吉野(母親の姓)なんていたっけかぁ」などと首を傾げたりすると、私はとても立場のない気持ちになった。クラスメートの次ぎのリアクションも気になった。興味本位で「なんで」と聞かれるのが嫌だったのである。が、海外へ飛び出し、そこの人たちの生活を見たり、交友を重ねる事で、考えかが変ってきたことに気が付いた。人間は社会に属しているが、隷属しているわけではない事、そして社会には多様性があることを知ったのであり、自分を大切にして道を自分で見つけていくことが自分の生きる道だと考えるに至った。
優泰は今、英語をモノにし始めている。あと1、2年この環境下にあれば、確実に英語を自分の言葉として操れるようになるだろう。世界へ出ていくのに英語は武器になる。しっかり教えておきたいが、しかし、一番大切なのは、英語力などではない。言葉の通じない相手とでもコミュニケーションを取ろうとする努力こそが大切だと思う。タイ語だって碌にわからない優泰が、タイの子供とも遊べるのは、そのあたりのコツを覚え始めたからではないかと、私は考え、とても嬉しく思っている。本はまだページの半ばだ。これから後半を読み進むと、また色々なことを考えるであろう。サムイ島行きのバスは夜7時50分発。
朝食
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ご飯とツナサラダ、海苔。 |
昼食
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ドライブインでイカのバジル煮込みかけライス。 |
夕食
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新南バスターミナル近くにあるバーンパムルと言う地域にあるショッピングセンターでカツカレーライスを食べる。別に日本食の食堂に入ったわけではない。 |